平和構築における軍事力の役割と問題点 ―旧ユーゴスラヴィアの事例から

問題の背景

冷戦後に盛んに取り組まれるようになった平和構築(peace-building)においては、当初は経済・社会・文化・人道問題などが強調され、軍事力の役割は必ずしも想定されていなかった。しかし、今日では、平和維持活動(PKO)を主任務として派遣される国連などによる国際軍事部隊が駐留を続けて平和構築の一端を担うことが一般的になった感がある。平和構築活動に際して、強制力をもつ軍事部隊を、必要な場合には軍事力を行使する意志を持って駐留させることには、人道危機の防止や紛争の再発を抑止する機能が期待できる。加えて、対象国の治安部門を構築・改革するいわゆるSSR(治安部門改革)など、専門的な知識や経験が求められる分野における役割を担うことができるのも軍事部隊ならではの特長である。

しかしながら、軍事力が強制という側面を持つことは避けられない。国際軍事部隊の駐留によって、現地の政治勢力や民衆の意思が力で抑え込まれることがあるとすれば、それはどこまで許容されるべきなのだろうか。特に近年は、平和構築の前提となる停戦や和平の合意自体が、国際社会の軍事介入によって強制的にもたらされる場合も増えている。国際社会は紛争に対してもはや中立(neutral)的な仲介者とはいえない場面が多いのである。また、短期的には軍事力に頼らざるを得ないとしても、長期的な期間で考えた場合、国際社会による介入は紛争後の社会と平和構築にどのような影響を与えるのだろうか。

本論考では、以上のような問題意識を持って平和構築における軍事力の役割について考察を行う。以下、まず平和構築と軍事力の関係について冷戦後の展開を振り返りつつ論点を整理し、次にボスニアおよびコソヴォの平和構築過程において国際社会の軍事力がどのような役割を果たしてきたのかを検証する。

平和構築と軍事力との関係

(1)『平和への課題』における想定と現実とのギャップ

平和構築は、冷戦後の国連への期待の高まりを背景として1992年に国連事務総長(当時)のガリ(Boutros Boutros-Ghali)がまとめた『平和への課題(An Agenda for Peace)』において、予防外交や平和維持、平和強制などと並んで提唱され、以降政策概念として注目を集めるようになった。この文書では、平和構築は「紛争の再発を回避するために平和を強化・定着させるような構造を見い出し、支援する活動」(para. 21)と定義され、具体的には、「(紛争の)原因となっている経済的、社会的、文化的、人道的な問題を扱う継続的、協力的な働きによって、平和を永続する基礎の上に置くことができる」(para. 57.)と述べられている。

『平和への課題』における文言を読む限りでは、平和構築においては軍事力が果たす役割は必ずしも想定されていなかったと考えることができよう。同文書で軍事力について触れられているのは平和強制や平和維持の文脈であり、これらによって停戦や和平がもたらされて維持されている間に、平和構築によって持続可能な平和を築くという分類といえる。だが、実際の活動においては、これらを峻別することは困難である。特に平和維持と平和構築は同時並行的に実施され、かつ平和構築は「包括的な努力」(para. 55)の重要性が強調されるように、社会のあらゆる面に働きかける総合的な活動である。このため、軍事力は治安の面を中心に平和構築においても重要なツールとならざるを得ないのである。

平和維持と平和構築の一体化の方向は、1992年に派遣されたカンボジアへの国連カンボジア暫定機構(UNTAC)の派遣時点から明らかであった。UNTACは、治安維持の責任を負うことに加えて、武装勢力の武装解除、違法武器の回収などを担い、また文民部門は1993年の憲法制定議会の選挙の実施にあたって、カンボジアの外交、防衛、財務、公安、情報関連の諸部門を直接監督する権限をもった(A/46/608およびS/23177)。これは政府不在のカンボジアにおいて国連PKOミッションが暫定統治を担うものであり、冷戦期の停戦監視や兵力引き離しなどに限定された国連PKOとは明白に一線を画すものであった。その中で軍事部隊は、文民部門と区別されていたとはいえ、治安の維持のみならず、いわゆるDDR(戦闘員の武装解除・動員解除・再統合)任務にも乗り出すことで、平和構築の一翼を担う存在となったといえる。

UNTACの経験をふまえて、国連では平和維持と平和構築との関係では両者を正式に一体化する概念整理が行われてきた。1995年にガリ国連事務総長が発表した『平和への課題:追補(Supplement to An Agenda for Peace)』では、UNTACのような多機能型PKOが平和構築活動を担う場合があるとの認識が述べられ(para. 50)、2000年の国連平和活動に関するパネルの報告(Report of the Panel on United Nations Peace Operations)(通称ブラヒミ報告)や、2008 年の国連文書『国連平和維持活動―原則と指針(United Nations Peacekeeping Operations: Principles and Guidelines)』(通称キャップストーン・ドクトリン)において、平和構築と平和維持は不可分であり一体とされるべきであるとされ、複合型(complex)平和活動が提唱されている(ブラヒミ報告para. 28)。

冷戦期までの限定的なPKOに代わって総合的な平和構築が取り組まれる中で、軍事力の有用性が再確認され、平和構築の不可欠の一部を担う存在として組み込まれたということができよう。

(2)国際社会による和平体制の強制

さらに決定的な変化をもたらしたのは、冷戦後、平和維持/平和構築の前提条件となる停戦合意や和平体制自体が、軍事力行使をも含む国際社会の強力な介入によってもたらされる例が増えてきたことである。本論で検討するボスニアやコソヴォの事例では、北大西洋条約機構(NATO)による空爆が和平につながり、その後のアフガニスタンおよびイラクの事例では国際軍事介入によって政権が倒される形で紛争後の体制が発足した。後のリビアもこのような事例の一つと考えることができよう。強制によって和平がもたらされた場合、和平体制は当然に国際社会の奉じる価値や規範を反映したものになる。たとえば米国や西欧などが中心となる和平体制においては、西側諸国が重視する民主主義や市場経済の導入が課題とされ、その結果、「自由主義的平和(liberal peace)」や「自由主義的平和構築(liberal peace-building)」などと呼ばれてきた。

当然、平和維持/平和構築に従事する軍事部隊が維持/構築しようとするのも、このような国際社会が求め、強制する形での平和となる。これは冷戦期までの伝統的な国連PKOが依拠してきた、紛争当事者による派遣への合意、中立性、武器使用の自衛の場合への限定といった要件から外れることを意味する。まず、国際社会が求め強制してきた和平体制は、現地の当事者の不満を招くことが避けられず、軍事部隊の派遣への合意にも強制の要素がつきまとうことになる。そして、特定の和平体制を守る以上は、軍事部隊が厳密に中立であることは困難であり、そこにおいて求められるのは国際社会の規範や和平合意の内容の履行を全ての当事者に求める「不偏性(impartiality)」となる。結果として、そのために軍事力を行使せざるを得ない場面も発生し、武器の使用も自衛や市民を守るためだけではなく和平体制を守るためにも用いられざるを得なくなるのである。

(3)平和構築に軍事力を用いることによる問題

上記した平和維持と平和構築の一体化や国際社会による和平体制の強制は、冷戦期には不可能であった取り組みを可能にしたという点では大きな進歩と呼べるのかもしれない。しかし、一方で大きな問題をはらんでいることも確かであり、軍事力の役割の拡大はその問題をさらに大きなものにしている。まず、平和構築が暫定統治に近いものになることで、現地の政治勢力や民衆の手からイニシアティブが奪われることとなり、「現地社会のことは現地社会の人々に委ね(篠田 2009, p. 165)」るべきとするローカル・オーナーシップを損なうという問題が挙げられる。さらに、国際社会による強制の要素が大きいほど、関与の正当性が低下し、これに伴って現地勢力の不満を蓄積させるために、和平体制自体も脆弱なものになりかねないという問題が存在する。現地勢力の不満を抑え込んで、国際社会の望む和平体制を守ろうとすれば、ますます強制の要素が強まり軍事力の役割もさらに拡大することになり、平和構築が軍事力に依存した状況になってしまう。

また、長期的にみれば国際社会による関与はいずれ逓減していくことが避けられない。国際社会への依存を脱却させるべく、政府機能の構築など国家建設が行なわれるのであるが、これは数年で完了するような容易なものではない。むしろ、アフガニスタンやイラクのように国際軍事部隊の撤退を機に反体制勢力が勢いを増すなど、最低限必要な治安の確保すら覚束ないことが多い。以下では、ボスニアおよびコソヴォの事例を検討して、上記のような問題点が実際にどのように現れているかを見てみよう。

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Bosnia and Herzegovina after the Dayton Agreement. Image: Wikimedia Commons

 ボスニアとコソヴォの事例から

(1)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

1992-1995年にかけて大きな被害をもたらしたボスニア紛争は、総人口の約43%を占めるムスリム系と約17%を占めるクロアチア系が旧ユーゴスラヴィア連邦からの独立を望み、約31%を占めるセルビア系がこれに反対するという図式で発生した。1992年に実施された住民投票では、セルビア系がボイコットする中で、ムスリム系およびクロアチア系による賛成多数で独立が決定され、セルビア系勢力の蜂起と、独立を承認しない連邦側(実質はセルビア共和国)による介入へとつながった。国連は早期からPKO部隊として国連保護軍(UNPROFOR)を派遣して、人道援助活動の保護や設定した安全地域での避難民保護などにあたっていたが、セルビア人勢力の攻撃を受けて安全地域が陥落してPKO要員が人質にとられ、スレブレニツァの虐殺などが発生したのを受けて、NATOがセルビア系勢力への空爆を本格化させ、1995年に和平合意(General Framework Agreement for Peace)(通称デイトン合意)がもたらされた。

DaytonAgreement

 

同合意では、ボスニア共和国は独立と領土一体性の維持を認められつつも、ムスリム系およびクロアチア系によるボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦(国土の51%)、および、セルビア系のスルプスカ共和国(同49%)という二つのエンティティ(自立独立体)に分割された。両エンティティは国家に近い権限をもつ存在であり、当初はそれぞれが軍さえも保有するものとされた。新国家に不満をもつセルビア系住民に大幅な自治を認めた形といえるが、なおもセルビア系勢力は国家の枠組みに合意せず、ことあるごとにボスニアからの独立の可能性に言及してきた。一方で、紛争時に大きな被害を出したムスリム系勢力側では、セルビア系住民に過剰な自治が与えられているとの不満が強く、スルプスカ共和国の権限を縮小もしくは廃止し、国家としての統合を強化することが要求されてきた。国際社会は、これに対して、最大時で6万人規模という大規模な国際軍事部隊を駐留させて和平体制を維持しつつ、和平履行評議会のトップである上級代表(文民)に立法や人事面での強大な権限を与えて現地勢力の不満を抑え込んできた。一方で国際社会は機能する現地政府の整備を目指して徐々に中央政府を強化する方針をとってきたが、特にセルビア系勢力側で反対が強く、改革の遅れが目立っており、現在も上級代表の派遣や欧州連合(EU)主導の600人規模の軍事ミッション(EUFOR ALTHEA)の駐留に象徴される強力な介入が継続されている。

(2)コソヴォ

コソヴォは旧ユーゴ連邦においてはセルビア共和国内の自治州と位置づけられたが、1988年にセルビア共和国で政権を握ったミロシェヴィッチ(Slobodan Miloševic)は、コソヴォにおいて人口の10%を切る少数派となっていたセルビア系住民のナショナリズムを煽り、自治州の権限を縮小していった。1998-1999年にかけて行われた紛争では、約90%を占める多数派のアルバニア系のゲリラであるコソヴォ解放軍(KLA)が独立を掲げてセルビア政府と衝突し、セルビア政府による大規模な人権侵害を重く見た国際社会は、NATOによるセルビア側への空爆を行い、コソヴォはセルビア共和国の施政から切り離された。

1999年6月から国連コソヴォ暫定統治ミッション(UNMIK)が派遣されて暫定統治体制が敷かれ、同時にNATOが指揮する国際軍事部隊コソヴォ・フォース(KFOR)が最大時6万人規模で展開した。KFORはUNMIKの傘下には組み入れられなかったが、セルビア共和国からの介入を抑止する役割と同時に、難民化によってさらに少数派となったセルビア系住民を守る役割を担い、さらにはコソヴォの即時独立を望むアルバニア系の不満を抑えるなど、和平体制の維持に不可欠な存在となった。その後、2004年に民族間の衝突が発生した際に、独立を求めるアルバニア系勢力がUNMIK要員をも襲撃する事態となり、国際社会の大部分は徐々に独立容認へと傾き、2008年にセルビア側の同意を得ないままに独立宣言が行なわれた。しかしながら、依然として独立を認めないセルビア側との緊張関係は現在に至るまで続いており、セルビア系住民の多い一部自治体の分離を抑えるためにも国際社会はKFORの駐留を継続している。アルバニア系勢力側では正式な軍隊を創設する動きが試みられているが、国際社会はセルビア側に過度の刺激を与えることを望んでおらず、KFORの存在は、引き続きアルバニア側に対する牽制としても働いている。

おわりに:軍事力への依存から脱却できるか?

以上、本論考では、平和構築と軍事力との関係について考察を行ってきた。ボスニアとコソヴォの事例では、和平をもたらし、かつ和平体制を維持するうえで、国際的な軍事力の行使および軍事部隊の駐留が極めて大きな役割を果たしてきたのであり、そのこと自体は積極的に評価すべきといえよう。ただ、それぞれ紛争後20年、16年が経過した現在も軍事部隊の駐留が続けられていることは、両国における平和構築が、現地の政治勢力や民衆のイニシアティブを奪い不満を招く形で行なわれてきており、正当性の点でも問題を有していることと明らかに関連している。両国の場合は即座に紛争が再発するとか隣国の軍事介入を招くといった事態は考えにくくなっているが、それでも、国際軍事部隊が撤退すれば、スルプスカ共和国の独立やコソヴォのセルビア系自治体のいっそうの分離傾向、逆に多数派による強制的な統合の動きなどを招く契機になる可能性は完全には否定できない。国際社会が両国から軍事部隊を撤退させることができないことは、平和構築が軍事力に依存する形になりやすいことの一つの証左と考えられる。今後、平和構築における軍事力の役割についてさらに精査し、必要最小限の範囲に絞り込んでいくことが研究上も実務上も求められているといえよう。両国の場合は、幸いにしてEU加盟という、現地政治勢力が立場の相違を超えて合意しやすい目標が存在しており、それに向けた改革の進展が国際社会とその軍事力への依存から脱却する一つの契機となり得る。こうした契機を長きに渡る平和構築の確かな一里塚とすることが国際社会にも現地勢力にも求められている。

Masataka NAKAUCHI
大阪大学大学院国際公共政策研究科
特任准教授 中内政貴

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引用文書・文献

篠田英朗「平和構築における現地社会のオーナーシップの意義」『広島平和科学』第31号、2009年、163-202頁
United Nations (1992), An Agenda for Peace
United Nations (1995), Supplement to An Agenda for Peace
United Nations (2000), Report of the Panel on United Nations Peace Operations (The Brahimi Report)
United Nations (2007), Decision of the Secretary-General’s Policy Committee
United Nations (2008), United Nations Peacekeeping Operations: Principles and Guidelines