チュニジア国民対話カルテット:アジア地域のモデル?

2015年10月9日、ノルウェー・ノーベル委員会は、「チュニジアにおける多元的民主主義の構築に決定的な貢献をした」として、チュニジア国民対話カルテットにノーベル平和賞を授与した 1。ノーベル委員会の発表時、4つのチュニジアの市民社会組織(チュニジア労働総連盟(UGTT),工業・手工業連合会(UTICA),人権擁護連盟(LTDH),全国弁護士協会(ONAT))で構成される国民対話カルテットのチュニジア国外での知名度は、ほぼ皆無に等しかった。2014年に行われたチュニジア議会および大統領選挙中に世界ニュースの見出しを飾った、イスラム派政党エンナハダ運動や国家主義者であるニダー・チューニス党などの、国内主要政党とは異なり、チュニジアの市民社会組織が難航する国内の体制移行を進める上で果たした重要な役割は、ほとんど注目されることがなかった。

カルテットが最初に結成された2013年の夏には、チュニジアの体制移行は危機の真っただ中にあった。2011年1月14日、チュニジアの独裁指導者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリがチュニスから逃亡した。これが最初の市民革命となり、続く数ヶ月の間に近隣諸国であるリビアとエジプトで指導者たちがその地位を追われた。しかし、ベン・アリの退陣によって出来たチュニスの政治空白は、2011年10月23日に実施された歴史的な選挙まで続き、その間、暫定移行当局が埋めていた。この選挙は自由で公正であったとともに、チュニジアにとって歴史的な憲法起草過程を指揮することとなった、イスラム派政党エンナハダ運動を政府に取り込んだという点においても歴史的であった。エンナハダの選挙での勝利は半世紀におよぶ世俗統治を覆した。その結果、政治的イスラムに対する深い偏見を持つ者たちと、革命をチュニジア国家のアイデンティティを一新する機会と捉えたイスラム主義者たちの間で、それぞれ政治的緊張が高まっていった。

Watch the moment the Tunisian National Dialogue Quartet wins the 2015 Nobel Peace Prize.
Video: euronews (in English)

政治の分極化はさておき、チュニジアを政治的な停滞状態に陥れたのは、2013年に起きたジハード・サラフィー主義の過激派による2件の政治暗殺であったといえるだろう。2013年2月の左翼リーダー、ショクリ・ベライード(Chokri Belaid)殺害および2013年7月のムハンマド・ブラヒミの暗殺がきっかけとなり、チュニジアの脆弱な機関、特にエンナハダが率いる制憲国民議会は、出口の見えない長期的な政治的混乱期へと真っ逆さまに落ちることとなった 2。よって、世俗的野党が憲法起草議会への参加を拒否し、チュニス市内の路上で抗議行動を起こした時、エンナハダ、野党のいずれも現状を受け入れる備えが出来ていないように思われた。

事実、2013年に各々の体制移行が厳しい状況下にあることに気づいた中東・北アフリカ諸国はチュニジアだけではなかった。これらの地域の大部分にとり、2013年は苦痛の年であった。たとえば、エジプトでのクーデターによって、同国で初めて民主的に選出された大統領ムハンマド・モルシは投獄された。リビアでは前政権と関係を持つすべての人物が同国の体制移行に関ることを事実上禁止した厳格な政治的罷免法が採用され、この分断行為はリビアを新たな暴力紛争へと向かわせた。また、シリアでは暴力が拡大し、シリア騒乱での死亡者数は100,000人以上に上昇した。

一方、チュニジアと周辺諸国の違いは、今日のチュニジアが紛争の深淵に落ちることなく、かつ権威主義の復活を見ることもなく、むしろ民主化への道を歩み続けているということである。2015年3月と7月には「イスラム国」に影響を受けた2件の攻撃が発生し、これらはチュニジアの観光業界の崩壊を招いた上に、対テロリズム法の採用も物議を醸した。しかしこれらの事件の余波の中においてさえ、チュニジアは「アラブの春」から出現した唯一の民主主義的希望の光として広く見なされ続けている。

Tunisia_marchers_flag

JUNE 6th, 2012 – TUNIS. Tunisian people marching and holding national flags and banners in the city center.

チュニジアの移行体制:妥協の政治学

それでは、チュニジアの成功はどう説明できるのか、そしてカルテットはこの中でどのような役割を果たしたのだろうか。これらの疑問に答えるためには、激動の2013年夏を振り返ることが重要である。こう着状態のチュニジア政党や、マルクス主義者からの要求であるエンナハダの権力からの撤退などに対する承認という状況の中、今にも革命後の暴力が起りそうに見えた。エジプトではイスラム主義を掲げるムスリム同胞団が、アブドルファッターフ・アッ=シーシー率いる軍によって権力の座から引きずり下ろされたが、チュニジアの政治的分裂にも同じような懸念材料があった。チュニジアではイスラム派エンナハダ運動への批判の声も高まり、彼らがチュニジアをイスラム国家へと変貌させる計画やジハード・サラフィー主義過激派グループと協力関係にあるではないかといった陰謀説が告発の的となった。実際、非イスラム主義政治家と活動家などの雑多な連合は、独立後のチュニジアで大統領を務めたハビーブ・ブルギーバとベン・アリ両者の下で要職に就いた 80代の元政治指導者、ベジ・カイドセブシが新たに設立したニダー・トゥーニス党の旗下に集結した。

エンナハダ支持者にとっては深刻な状況であった。ベン・アリの独裁的支配の下、チュニジアのイスラム主義者たちは広範囲におよぶ政治的弾圧の対象となった。同党の多くの活動家たちは何年もの間、投獄と拷問の苦しみを受けた。一方、チュニジアの非イスラム派政党にとってのエンナハダは、独立後国家のアイデンティティに深く刻まれている、チュニジアに特有のモダニズムに対して脅威を与える存在として認識されていた。

一見相容れない2つの政治勢力を互いに戦わせたチュニジアの政治環境は次第に有害なものとなり、これは2013年がチュニジアの体制移行喪失の年となった可能性を意味していた。しかし2014年1月、体制移行は失われるどころか、チュニジアは新しい憲法、移行期正義の法、そしてチュニジアを議会・大統領選挙へと導いていく新たなテクノクラート政権を持つこととなった。

カルテットへの参加

チュニジアの政党が危機脱出に向けた交渉を行うことができないことを受け、チュニジア市民社会組織がその隙間を埋めるために介入した。多くの周辺諸国と異なり、チュニジアは労働運動動員の長い歴史を持つ国であり、アラブ・中東地域初の人権団体であるチュニジア人権戦線の本拠地でもある。チュニジア市民社会組織はそれまで旧体制に従属してきたが、2011年の政変をきっかけに、国内政治でより積極的な役割を担い始めることが可能となった。革命保護高等委員会を手始めに、労働組合のメンバーや人権団体はチュニジア暫定政権での主導的地位に就任し、体制移行の交渉における重要な役割を担うようになった。

チュニジア労働総同盟がエンナハダと敵対していることは周知の事実であったが、その歴史的正当性を利用し、2013年2月に起ったベライードの暗殺の直後に国民対話を推進した。2013年7月のムハンマド・ブラヒミの死後は、2013年前半にすでに形成されつつあったカルテットが、深まる政治危機を緩和する役割を担おうと試みた。

同年秋、行き詰まった憲法起草過程の終結、エンナハダの影響下にあったアリ・ラアレイエド政権の撤退、そしてテクノクラート政権の妥協的な首相候補として2014年末の選挙までチュニジアを統治することとなるメヘディ・ジョマア選出というロードマップを徹底討論するため、カルテットは主要な政治アクターたちを結集する役目を務めた。これら全ての達成にはカルテット側が実施した繊細な仲介だけでなく、高まる世論の圧力にさらされ、最終的に自身の政党を政府から自主的に撤退させたエンナハダのリーダー、ラシド・ガンヌーシ側にも妥協してもよいという意思が必要であった。

市民社会のアクターが国民対話に関与することはチュニジアに限ったことではない。たとえば、2014年にはリビアでも国民対話を立ち上げる動きがあった。しかし、チュニジア人による全面的な運営・実施によって国内の意向で推し進められていたチュニジアの国民対話は、彼らの経験を他とは一線を画したものにしていた。チュニジアの国民対話の成功は同国の市民社会組織の相対的な強さと、国家体制移行の重大な局面における政治的アクターの妥協意思によるものであった。そして、チュニジア労働総同盟とエンナハダ間の敵対関係にも拘らず、最終的には双方が国民対話の成功に重要な役割を担ったのである。

 

アジアへの教訓

アジアに関連したチュニジアの経験が伝えるひとつの重要な教訓は、政治的危機に対する解決策は、往々にして狭義の政治世界の外側に見つかるものだということである。政党や政治エリートは、体制移行の過程の主導権を握るための政治的駆け引きに深くはまっており、各機関や国民の多くが強いストレス下にある時に、それぞれが絶対的な立場を取ることの影響に配慮することは難しい。より開かれた対話へのアプローチを取り、市民社会のアクターを取り込むことによって、チュニジアの体制移行は移行期における市民社会の重要性を実証している。

クリストファー・K・ラモント
クリストファー・ラモン氏はフローニンゲン(グローニンゲン)大学で国際関係論の助教授を務める。過去4年間に渡りチュニジアの体制移行に関する研究調査を行い、スース大学の法・政治学部にて「アラブの春」に係る体制移行について3つの夏期プログラムを企画した。

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”We did it together, the four of us”: Ouided Bouchamaoui, president of the Tunisian confederation of Industry, Trade and Handicrafts, on the National Dialogue Quartet in Tunisia:

Notes:

  1. 「ノーベル平和賞2015−プレスリリース」Nobelprize.org. Nobel Media AB 2014ウェブサイト、2015年10月31日  http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2015/press.html
  2. クリストファー・ラモン「チュニジア:政治的暴力からの政治的脱却を求めて」、オープンデモクラシー(OpenDemocracy)、ウェブサイト、2013年8月3日https://www.opendemocracy.net/christopher-k-lamont/tunisia-in-search-of-political-exit-from-political-violence