タイの公教育における宗教とムスリム

 日本においては、日本国憲法第二〇条において「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という政教分離に関する記述があるように、公教育において宗教教育が実施されることはない。しかしタイは、公教育以前から寺院が教育機関としての役割を担い、現在も教育制度、カリキュラムを含めた教育内容において宗教、とりわけ仏教が重要な地位を占めている国である。それではこのような国において、他の宗教を信仰する人々はどのように育ち、学ぶのか。本稿では、タイの基礎教育カリキュラムにおける宗教の位置づけから、ムスリムへの対応について分析を試みたい。

 教育の観点からタイ深南部での紛争解決について考える際、信教の自由の観点からムスリムに対する教育保障が必要なことはもちろんのこと、同じく重要なのは、多数派がムスリムについて実情を理解できる、紛争の解決に資するような教育を行うことである。このような観点から、本稿ではタイの多数派にとってイスラームがどのようにとらえられてきたのかを知ることを主眼におく。

国民形成としての仏教教育と同化政策

 まず、ムスリムへの対応を検討する土台として、タイにおける仏教の位置を確認しておく。憲法において、国王は仏教徒であることと定められてはいるが、仏教をタイの国教とする規定はなく、信教の自由を保障されている。また、タイに仏教が伝わったのは13世紀のスコータイ王朝以降で、王制の正当性の根拠とされてきた。歴代の国王は敬虔な仏教徒であったが、他の宗教に対する弾圧はほとんど行われなかったといわれている 1

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Buddhist monks learning, Bangkok, Thailand

 しかし、ラーマ6世王(在位:1910–25年)は、タイ人としての自覚をもつべきとして、「民族・仏教・国王」の三位一体論(ラックタイ 2)を提示して、国王への絶対忠誠を説く公定ナショナリズム 3をとなえた。これは、仏教が国家形成において特別な位置を占める宗教とみなされていることを示すものである。

 1940年代になると、タイ政府は深南部に暮らすムスリムの民族的同化を推進した 4。例えば、1942年にピプーン政権は同化政策の一環として、ジャウィ語による教育やジャウィ語文献の出版を禁止した。さらに、マレー系民族衣装着用やマレー系またはアラブ系の氏名の使用を禁止する、同地域のマレー・ムスリム を「タイ人」と呼称する、木・金曜日の休日を土・ 日曜日に変更する等の政策を打ち出した 5。さらに、本格的に地方への教育拡充政策がとられた1960年の「国家教育計画」以降、教育普及と同時に仏教の普及(山岳民族を仏教徒に改宗させるタンマーチャリック計画が1965年に始まるなど)が全国的に進んだ。

 公教育における仏教の扱いが大きく変わるのは、1977年に発布された「国家教育計画(仏暦2520年)」(以下、1977年国家教育計画と省略)に基づいて制定された「1978年初等教育カリキュラム(以下、1978年カリキュラムと省略)」である。1977年国家教育計画ではラックタイの重視が明文化され、宗教に関する項目が、第1、2、29、35、50、53項の6項目設けられた。1932年の立憲革命以降ラックタイは政策においては強調されていなかったが、サリット首相(当時)は精神的基盤としてこれを強調し、国王への忠誠意識と仏教信仰の国民的普及を目指して、カリキュラム内容に踏み込んだ改革を実施した。

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Parents on the school run. Ban Chue Nue Rae, Yala, Southern Thailand.
(Photo: Kroowinai, www.wewatch.info)

 1978年カリキュラムでは、道徳教育の徳目が30項目定められている。宗教に直接関連しているのは、第29項「民族・宗教・国王への忠誠」である(表1)。徳目を参照すると、宗教は独立した形でよりも、民族・宗教・国王という一体化した形で扱われていることが分かる。また、タイ語の宗教(Sassana/サッサナー ศาสนา)という言葉は、一般的な「宗教」を指す場合と、一語で「仏教」を指す場合があるが、民族・宗教・国王とラックタイの文脈で用いる場合、仏教という意味で用いられることがほとんどであることから、ここからも仏教の信仰と国民教育が密接に関わっていることがうかがえる。 

表1  1978年カリキュラム第29項:宗教に関する項目

 
目的①国家の一員たることを誇り、民族・宗教・国王を擁護する義務を知る。
②各人の置かれた状況に応じて、国王への義務を知る。
③タイ国旗は国のシンボルであることを知る。
④国家に対する義務を知る。
⑤宗教が、生活を送るうえでの原理であることを知る。
⑥君主としての国王の重要性を知る。
原理①すべてのタイ国民が主権を持ち、安全である。
②宗教は国家の精神的基盤である。
③国王は国力の源である。
内容①日常生活において、常に民族・宗教・国王への忠誠心を培う状況を提供する。
②民族・宗教・国王に対する国民の良識ある行動に関する写真や話を収集する。
③民族・宗教・国王に関する作文指導を行う。
④民族・宗教・国王に関する各種の活動を組織する。
⑤赤十字団・国境警備隊・軍人に対して各種の物品・金銭的援助を提供する機会を設ける。
⑥国家防衛のため負傷した軍人や警官を訪問する。
⑦国家・愛国歌を歌い、国旗掲揚や祈祷により、愛国心を高揚させる。
⑧愛国心を高める歌・宗教歌・国王賞賛歌・国王作曲の歌等を歌わせる。
⑨民族・宗教・国王への忠誠に関する寸劇を行わせる。

参考文献:平田、 1981年 6

 以降、2001年の改訂まで、1978年カリキュラムは大きな変更をせず用いられてきた。つまり、長きにわたってタイの公教育では、仏教への信仰が国民の資質として扱われ、他の宗教とは異なる位置づけにあったのである。

 一方、公教育におけるムスリムへの対応をみると、1960年代から、タイ南部は農村部とともに開発重点区域として学校教育の普及が図られた。しかし一部の過激派は小学校教育を宗教教育への介入とみなし、1970年代には政府との衝突が大きな社会問題としてとりあげられるようになった 7。その後、1981年11月の文部省省令によってイスラーム教育が南部の小学校で正規の必修科目として認可され、1990年代には学校でのイスラーム服着用も認められるようになった。しかし、イスラーム教育の整備は南部に限定されており、他地域のムスリムからは不公平な政策に対する批判もおこっていた 8

 このような1978年カリキュラムが社会状況の変化に合わない点として2001年カリキュラムの序文には、国民の管理能力や生活技能の不足および急速な社会変化への対応不足、という点が改定の理由にあげられている。さらにカリキュラムに先立って施行された2001年カリキュラムに先立って施行された1999年国家教育法には「基礎教育カリキュラムの策定は、タイ人らしさを身につけ、国家のよき市民(ポンラムアン)であることを身につけ、生活を営み、職業に従事し、および進学するためのものである 9」と記されている。

 この「ポンラムアン」という言葉は、1978年カリキュラムにおける「ラックタイ」のようなタイ国民に求められる資質を指すもので、改訂理由は言い換えれば「社会が国民に求めている資質が不足している」となる。つまり、ラックタイではない新たな国民の資質を設定し、育成しようという動きがおこっているのである。

2001年カリキュラムにおける他宗教への対応

 次に、ラックタイの中で国民の資質として扱われてきた仏教への信仰について、カリキュラム改訂の中で変化が見られるのかを分析する。2001年カリキュラムでは、社会科・宗教・文化の学習内容(水準)内に「市民の義務・文化・社会生活」の項目が設けられている。以下にその内容を記す。

2001年カリキュラム「社会科・宗教・文化」学習内容(水準) 

内容1:宗教・社会道徳・倫理

水準So1.1:仏教または自分が信仰する宗教の歴史・重要性・教義を理解し、宗教の教義を共生のための実践の原理として用いることができる。

水準So1.2:道徳・善行を確信し、優良な価値観をもち、仏教または自分が信仰する宗教を信仰する。

水準So1.3:仏教または自分が信仰する宗教の教義・宗教儀礼、優良な価値観に基づき自ら行動し、実践する。これを通して、平和な共生のために、自らを開発し、社会と環境に対して有益になるよう応用することができる。

内容2:市民の義務・文化・社会生活

水準So2.1:よき市民としての義務に従い、タイの法律・伝統・文化に基づき自ら実践し、タイ社会及び地球社会において平和に共に生活する。

水準So2.2:現代社会における政治・統治制度を理解し、信仰を確信し、国王を元首とする民主主義政体を保持する。

(以下の内容の水準は省略)

内容3:経済学

内容4:歴史学

内容5:地理学                   引用:森下他訳、2004年、24頁。

 2001年カリキュラムでは、内容を大綱的なものとし、細目については各学校が設定するよう規定されている。したがって、1978年カリキュラムに比べて細かな項目がなく、この特徴は、現行の2008年カリキュラムも同様である。

 宗教の内容に関する変化としては、「宗教」が「仏教または自分が信仰する宗教」という記述に変化している点があげられる。つまり、これまでは学校でのイスラーム教育は南部でのみ正規科目として認められていた(それ以外では、放課後あるいは休日に私塾で学ぶしかなかった)が、地域によらずムスリムの子どもがカリキュラム内で自分の信仰するイスラーム教を学び、信仰を深めることが可能になったことを示しているのである。

 また、国民の資質と仏教が一体化していたのが、信仰に関する内容と国民の資質育成に関する内容が分かれたことで、これまで特別な扱いであった仏教と、他宗教との地位が相対化するという大きな変化が見られる。

 実際2001年には「2001年基礎教育カリキュラムに基づく社会科・宗教・文化学習内容グループにおけるイスラーム教育の学習内容 10」が制定され、公定の教科書が南部以外の地域でも入手できるようになった。

 筆者が調査の際にバンコクの教科書販売店を訪れると、常に各学年分がそろったイスラームの教科書が「宗教」という科目のコーナーに置かれている。ただし、説明文はタイ語である。学習内容としてアラビア語の言葉に関する説明はあったが、果たして教授言語としてアラビア語あるいはジャウィ語はどこまで用いられているのか、といった点も、イスラーム教育の保障においては重要な観点であろう。これに関しては、Liowが、タイにおけるムスリム集団は、民族的に多様であり、深南部に多いマレー・ムスリムと、バンコクその他に多いタイ・ムスリム、またムスリムが全国で見て3番目に多い県であるチェンマイでは、雲南から来た中国系ムスリムやインド系のムスリムが多いことを指摘している 11。同じムスリムでもタイ・ムスリムは、タイ語で教義を学ぶことが多く、また教義の解釈に関する厳格さも、深南部のムスリムとは異なっている。Liowは、タイ・ムスリムの子どもはほとんどが公立学校に通い、基本的にタイ語話者である 12と述べていることから、バンコクで売られていたタイ語の教科書はタイ・ムスリムに向けたものであることも考えられる。こういった現状から、バンコクで制定されたイスラーム教育の学習内容が、果たして全てのムスリムに十分配慮されたものになっているのかについては学校での調査も含めた更なる検討が必要だと考えられる。

 また、カリキュラムにおける宗教の内容には、自らの信仰する宗教について学ぶ機会はあっても、他の信仰についての学びが言及されていないことが指摘される。この点については、2008年カリキュラムでも同様で、自らの信仰に対する保障はあっても、それ以外の宗教についての理解は求められていない。

 ただし、カリキュラムの弾力性が増したことを生かし、独自の取り組みとして異なる文化的背景を持つ人々への理解を深める学習を行う学校も出てきている。筆者が調査したバンコクの学校では、社会科の人権教育の一環として南部の県で2週間のフィールドワークを実施している。具体的には、生徒にムスリムのゴム農家を訪問して聞き取りを行わせ、教科書のイスラーム教についての知識だけではなく、実際に彼らが置かれた文化的および社会的背景について学ぶことで、タイに住むムスリムへの多面的な理解を深めさせようとしている 13。このような独自の実践を行う学校の多くは、NGOなど民間の団体と協働して、カリキュラムを大きく超えた教育実践を進めており、今後はこうしたより個別の事例を通じて、教育における他宗教への理解について実態を把握していく必要がある。

People of different faiths attend a special blessing on the occasion of the Thai King’s Birthday ceremony on Dec 5, 2011 at Islamic Council Yala, Thailand

People of different faiths attend a special blessing on the occasion of the Thai King’s Birthday ceremony on December 5, 2011, at Islamic Council Yala, Thailand

 

おわりに

 本稿では、ナショナルカリキュラムにおける宗教教育の中で、仏教とその他の宗教の位置づけから、ムスリムへの対応について分析してきた。

最後に、タイでは憲法においても人権保障の一つとして、各民族固有の宗教や文化の尊重について言及されるようになっていることについて触れておきたい。2007年憲法では、第12節(全2条)で、コミュニティーの権利について保障している 14。以下に、文化の保護について書かれた第六六条を引用する。

12節 コミュニティ権
第六六条(住民の文化・環境保護への参加)
コミュニティーとしてまとまった人々、地域コミュニティー、もしくは伝統地域コミュニティーは、地域及び民族の善良な慣習、伝統的知識、もしくは芸術・文化を保護または復興し、自然資源及び環境、生物多様性の調和的かつ持続的な管理、保護及び利用に参加する権利を有する。

 これは、タイにおける人権概念の中に、地域コミュニティを権利主体とする「第三世代の人権」概念が導入されてきた影響を受けたものである。しかし現在は国家平和秩序評議会(National Council for Peace and Order)による暫定憲法が施行されており、第44条に議長兼首相(2015年4月21日現在はプラユット陸軍司令官)は、国の安全が脅かされる有事の際にあらゆる命令を下す権限を有することが明記されており、サリット政権下における憲法と類似したような、超法規的措置が可能な状況となっている。

 国家平和秩序評議会は、2015年に恒久憲法を制定するとしており、今後、人権についての規定にどのような変化があるのか、また、新憲法への社会の対応がどのようになるのかによって、政治の中で保障されつつあったコミュニティの権利という要素がどう変化し、宗教教育にどのような影響を与えるのかを注視する必要があるといえるだろう。

馬場 智子
千葉大学助教

Notes:

  1. 森下稔、「第13章:タイの公教育における宗教教育の位置」、江原武一編著『世界の公教育と宗教』(東信堂、2003年、pp. 251-276)、p. 254。
  2. ラックタイとは、1929年にサガー=カーンチャナーパーンが著書『ラックタイ』で「タイ国家の至高の三要素として、民族(国家)、仏教、国王を掲げ、その歴史的正当性を理論化した国家原理である。後のサリット内閣において国是とされた。
  3. 公定ナショナリズムとは、「共同体が国民的に想像されるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略」である(アンダーソン, 1997, p.165)。ここでは、王が支配集団であり、国民と王朝の一体化を王の側から説いたことを指して用いている。
  4. 柴山信二朗、「タイ深南部のムスリムの変容-教育的背景の異なるムスリムの「グルセ・モスク事件」および「タクバイ事件」に対する態度と価値観についての考察-」、『早稲田大学人間科学学術院人間科学研究』(第19巻第1号、2006年、pp. 47-54)、p. 48。
  5. 柴山信二朗、「タイ深南部におけるイスラーム教育機関の変遷と社会的役割の多様化」、『早稲田大学人間科学学術院人間科学研究』(第20巻第2号、2007年、pp. 37-52)、p. 38。
  6. 平田利文、「タイにおける仏教と教育に関する研究」(修士論文)、『タイにおける仏教と教育に関する研究』(303号、広島大学 、1981年)pp. 88-93。
  7. 鈴木康郎、「南部タイの国公立小学校・中等学校におけるイスラーム教育の試み」、日本比較教育学会編『比較教育学研究』(第25号、1999年、pp. 97-115)、pp. 101-102。
  8. 鈴木康郎、「タイの基礎教育改革におけるイスラームへの対応」日本比較教育学会編『比較教育学研究』(第31号、2005年、pp. 118-137)、p. 123。
  9. 森下他訳、2004年、6頁。
  10. 当学習内容は教育機関別カリキュラム編成のガイドラインとしてイスラーム教育の全国統一をはかったものである。詳しくは、鈴木(2005年)、pp. 125-126。
  11. Liow, J.C., Islam, Education and Reform in Southern Thailand, (Singapore: Institute of Southeast Asian Studies, 2009), pp.15-16.
  12. bid., p.16.
  13. 人権教育実践の詳細については、拙稿(2010年)を参照されたい。
  14. 日本語訳は、JETROウェブサイト参照(日本貿易振興機構 バンコクセンター編「2007年 タイ王国憲法 邦訳」https://www.jetro.go.jp/world/asia/th/business/regulations/pdf/general_1_2007.pdf,(2015-4-01).