はじめに
2013年12月8日、マレーシアのクアラルンプールで、フィリピン政府とMILF(Moro Islamic Liberation Front, モロイスラム解放戦線)が「権力の分有(Power Sharing)」に関する文書に署名した。2012年10月15日に両者が署名した「枠組合意(Framework Agreement)」では、「移行期の取り決めと措置(transitional arrangements and modalities)」「富の分有(wealth sharing)」「権力の分有」「正常化(normalization)」の4つの付属文書に合意されることが、新たな自治政府設立のための「バンサモロ基本法」を制定する前提条件とされた。すでに2つの付属文書への合意が成立していたため、「権力の分有」文書への署名により、残された付属文書はあと一つ「正常化」だけとなった。
フィリピン南部では過去40年以上にもわたって紛争が展開され、多くの人びとが犠牲になってきた。そのため、両者の和平プロセスの成功を祈らずにはいられない。しかし、フィリピン政府とMILFとの和平プロセスには、不確定要素が残されている。もっとも大きな懸念は、MNLF(Moro National Liberation Front, モロ民族解放戦線)ミスアリ派 1の動向であろう。
MNLFミスアリ派の要求
2013年9月にサンボアンガ市とバシラン島でMNLFミスアリ派の兵士と政府軍が衝突した。この戦闘による死傷者数は200名を超え、12万人もの人びとが国内避難民となった。戦闘の原因については、いくつかの見方がある 2。うち、それが今回の戦闘の直接的な引き金になったか否かは別として、背景にMNLFミスアリ派が、フィリピン政府とMILFの和平プロセスに対する不満を抱いていたことが指摘されている。
MNLFミスアリ派は、なぜフィリピン政府とMILFとの和平プロセスに反対しているのであろうか。MNLFミスアリ派が求めているのは、1996年9月2日にフィリピン政府とMNLFが署名をした最終和平合意(1996 Final Peace Agreement)の履行である 3。その骨子は、第1フェーズとして14州9 市に暫定行政機構である「南部フィリピン平和開発評議会(Southern Philippine Council for Peace and Development: SPCPD)」と「諮問議会(Consultative Assembly)」を設立し、同地域を平和開発特別区(Special Zone for Peace and Development: SZOPAD)に指定して復興開発を集中的に進めた後 4、第2フェーズとして、2年後に同地域において住民投票を行い、3年後に選挙を実施して新たな自治政府を設立するというものであった 5。ヌル・ミスアリは、1996年9月に最終和平合意が締結されたのち、同月に対抗馬なしでムスリム・ミンダナオ自治地域(Autonomous Region in Muslim Mindanao: ARMM 6)の知事になり、SPCPDの議長にも就任した。
しかし、住民投票が予定されていた1998年10月が近づくと、第1フェーズで約束されたことが履行されておらず、政府側もMNLF側も住民投票の準備が整っていないという理解に達した。そこで議会は住民投票の延期を決定した。結局、住民投票は2度延期されたが、政府側が2001年8月に、MNLFの合意なしに住民投票を実施した。その結果、新たにバシラン州とマラウィ市がARMMになった。MNLFミスアリ派は、この結果に納得していない。一方で同年11月、ミスアリ自身はホロ島でMNLFの蜂起を扇動したという容疑で身柄を拘禁された 7。
フィリピン政府の立場は、2001年の住民投票にもとづく新たなARMM設立により、1996年最終和平合意は履行されたというものである 8。一方、MNLF側は、第2フェーズの履行には問題があると主張しており、両者の意見は食い違ったまま折り合いがついていない。そのためOIC 9を交え、1996年最終和平合意の履行状況をレビューする三者会議(Tripartite Meeting)を2007年から継続的に実施している。
●二つの和平プロセスの行方
すなわち、MNLFからみれば、フィリピン政府はMNLFとの1996年最終和平合意が不履行であるにもかかわらず、MILFと異なる内容の和平プロセスを進めていることになる。ちなみに、MILFが2016年に設立を目ざす自治政府の当面の最小範囲は5州3市に北ラナオ州6町と北コタバト州6町のうちの39村を加えた行政区である。1996年最終和平合意が自治政府設立を目ざした14州9市とは、大きな開きがある。異なる二つの和平プロセスは、どのように収斂するのであろうか。MNLFミスアリ派の主張がフィリピン政府とMILFの和平プロセスの妨害になるため、MILFがMNLFミスアリ派を非難するような声明を出しはじめていることも懸念される 10。
フィリピン南部に共に自治政府設立を目ざす二つの武装勢力が仲違いをしては、安定的は平和を築くことはできない。そのようななか、唯一、両者をつなぐ可能性をもつのが、OICなのである 11。
OICのこれまでの役割
1969年に設立されたOIC が、初めて公式にフィリピン南部の問題に言及したのは、1972 年にサウジアラビアのジェッダで開催されたOIC第3回外相会議が採択した「フィリピンにおけるバンサモロ・ムスリムの問題に関する決議(Resolution of the Islamic Conference of Foreign Ministers (ICFM) on the Question of the Bangsamoro Muslims in the Philippines)」においてであった。フィリピン南部で紛争が激化していた状況に鑑み、フィリピン政府に対して調停(good offices)を行うことが呼びかけられた。以来、ほぼ毎年、OICの外相会議においてフィリピン南部のムスリムの問題に関する決議が採択されている。
フィリピン政府とMNLFは、過去に二度にわたって和平合意に署名しているが、そのいずれにおいてもOICが重要な役割を果たしてきた。1974年、OICは同上の決議において初めてMNLFに言及し、フィリピン政府とMNLFが交渉に臨むことを呼びかけた。その後OICはMNLFに対し、独立を求めるのではなく、主権国家の領土内で問題を解決するようにと促した。その結果、1976年にフィリピン政府とMNLFはリビアの首都トリポリで、当時の13州(現在は14州)9市に自治を確立することを謳った1976年トリポリ協定(1976 Tripoli Agreement)に署名した。翌1977年、OICはMNLFにオブザーバーの地位を与え、のちにMNLFを「バンサモロの人びとを正統に代表する唯一(sole legitimate representative of the Bangsamoro people)」の組織であることを認めた。
しかしその後、フィリピンのマルコス政権は、MNLFの了解なしに1977年3月に自治地域を設立する大統領宣言(Presidential Proclamation )1628号を発令し、住民投票の結果にもとづいて1979年7月に第4地域と第12地域を自治地域(Autonomous Regions)に制定した 12。MNLFはこれに抗議し、政府との武力衝突が再発した。
こうした状況に対し、OICは1993年にフィリピン南部問題を議論する四者外相委員会にインドネシアとバングラデシュを参加させ、事実上、インドネシアに調停を任せることとなった 13。その結果、ジャカルタにおいて1996年最終和平合意が成立したのであった。要するに、フィリピン政府とMNLFの過去の二つの和平合意は、いずれもOICが積極的に関与した結果生まれたのであった。
このようにOICがフィリピン南部の問題に関心を寄せた背景には、リビアのムアンマル・カダフィの個人的な関心があったことを指摘しておきたい。リビアは世界各地のムスリム少数派の反政府勢力を支援していたが、少なくとも1970年代にはMNLFに対して、資金的、軍事的援助を行っていた。2011年にリビアにおいて反政府活動が活発になるまで、MNLFはトリポリに事務所を構えていた。
OICへの期待
このような経緯から、MNLFはOICに対して大きな信頼を寄せている。OICはMNLFに対して唯一発言力をもつ組織であるといっても過言ではない。MNLFに代わってMILFがフィリピンのムスリムを代表しているとの正統性を強めるなか、MNLFはOICに「バンサモロの人びとを正統に代表する唯一」の組織としてオブザーバーの地位を与えられていることをもって、その正統性を主張する。他方、MILFはOICに対し、MILFにもオブザーバーの地位を与えることや、MNLFのみを唯一の代表と認めないことなどを求めている。しかし、OICのオブザーバーの地位は今日までMNLFにしか与えられていない。
マレーシアでフィリピン政府とMILFが「権力の分有」に関する付属文書に合意した翌日の2013年12月9日から11日までの間、ギニア共和国の首都コナクリでOICの第40回外相会議が開催された。当初、サンボアンガ市とバシラン島での武力衝突以来、行方が不明となっているミスアリが、逮捕令状が出ているにもかかわらず、同会議に出席するかもしれない、というニュースが伝えられた 14。結局、ミスアリの参加はなかったようだが、同会議は13項目からなる「フィリピン南部のムスリム問題に関する決議(Resolution No. 2/40-MM On The Question of Muslims in Southern Philippines)」を採択して終了した。そのなかでは、1996年最終和平合意の完全履行、MNLFとMILFがバンサモロの人びとの平和と開発のために協働すること、1976年トリポリ協定と、1996年最終和平合意の成果が枠組合意や付属文書に統合されること、などが謳われた。
MILFとMNLFとの二つの和平プロセスがどのように統合されるのか、具体策はまだない。しかし、唯一両者のあいだを調停することができる立場にあるのが、OICであるといえる。MILFとMNLFが同じ和平テーブルについていないことは、深刻な問題である。国際社会はOICと協力することが求められよう。
Notes:
- 2001年4月、MNLF中央委員会のメンバー40人が集まり、MNLFのリーダーであるヌル・ミスアリ(Nur Misuari)への不信任を表明した。そして、MNLF幹部15名が中心となり「15エグゼクティブ・カウンシル(Executive Council of 15: EC15)」と呼ばれる指導体制を結成した。EC15は、中央委員会議長のミスアリの権限を否定する決議文を発表する一方で、ミスアリを名誉議長(Chairman Emeritus)と呼んで敬意を表した。しかし、ミスアリはこの動きに激怒した。2008年4月、MNLFのEC15派はムスリミン・セマ(Muslimin Sema)を議長に選出したが、ミスアリ派は否認している。 ↩
- 石井正子「フィリピン南部:ピースポ緊急レポート第1弾」(2013年9月22日;peacebuilding.asia/フィリピン南部:ピースポ緊急リポート第1弾/)。 ↩
- Mercado, Jun, OMI. The Owl’s View of the Zamboanga Siege (Part 1). GMA News. Oct 1, 2013; Mercado, Jun, OMI. The Tripartite Review (Part 2). GMA News. Oct 9, 2013; Mercado, Jun, OMI . The Shifting MNLF Politics (Part 3) GMA News. Nov 4., 2013. ↩
- あわせて兵士の社会復帰に関して、MNLFの元兵士7,500人をフィリピン政府軍と警察に統合し、残りの兵士(20,000人~40,000人)は、特別地域治安部隊(Special Regional Security Force)の一部になったり、開発支援を受けて生活を再建することが計画された。 ↩
- 石井正子「「平和の配当」は平和をもたらすか:フィリピン南部の紛争に対するJ-BIRDの意義と課題」堀場明子・福武慎太郎(編)『現場〈フィールド〉からの平和構築論 : アジア地域の紛争と日本の和平関与』勁草書房, 2013, pp. 86-112. ↩
- ARMMはアキノ政権期の1990年に、MILFやMNLFの反対を押し切って南ラナオ州,マギンダナオ州,スル州,タウィタウィ州の4州に設立された。 ↩
- ミスアリは2008年4月に保釈解放され、のち無罪放免となった。 ↩
- Office of the Presidential Advisor on the Peace Process (OPAP) Updated Q & A on the GPH-MNLF Peace Process. アクセス日:2013年12月26日。 ↩
- Organization of the Islamic Conference(イスラム諸国会議機構)は2011年6月にOrganization of Islamic Cooperation(イスラム協力機構)に改称した。 ↩
- Victims of Zamboanga Siege and Muslim Groups Urge OIC to Stop Recognizing Chairman Nur Misuari. Luwaran. Dec. 8, 2013. ↩
- Santos, Soliman, “The Role of Islamic Diplomacy in the Mindanao Peace Process,” (P’s Pod, Vol. 1, No. 4, March 2013; http://peacebuilding.asia/the-role-of-islamic-diplomacy-in-the-mindanao-peace-process/) ↩
- 第4地域(Region IX)には,バシラン州,スル州,タウィタウィ州,北サンボアンガ州,南サンボアンガ州,ディポログ市,ダピタン市,パガディアン市,サンボアンガ市 がふくまれる.第12地域(Region XII)には,北ラナオ州,南ラナオ州,マギンダナオ州,北コタバト州,スルタンクダラト州,イリガン市,マラウィ市,コタバト市がふくまれる.第4地域と第12地域をあわせると,10州7市になる. ↩
- その結果、四者外相委員会(Quadripartite Ministerial Commission)は、六者外相委員会(Ministerial Committee of the Six)に改称された。のちに、フィリピン南部平和委員会(Peace Committee for Southern Philippines)とさらに改称され、現在にいたる。 ↩
- Nur to Lead MNLF Delegation in OIC Meet. The Philippine Star. December 1, 2013. ↩