コロンビアにおける和平プロセス:その背景と課題

コロンビアにおける和平プロセス――その背景と課題

幡谷則子(上智大学教授)

はじめに

 2016年、南米コロンビアでは長年の左翼ゲリラ、「コロンビア革命軍-人民軍(FARC-EP)」(以下FARC)と政府の間での和平プロセスに大きな動きがあった。コロンビアでは過去60年以上、FARCに限らず、多様な左翼ゲリラ組織、そしてそれに対抗する非合法軍事組織である右派の傭兵集団あるいは準軍事組織であるパラミリタリー、そして傭兵も擁する麻薬犯罪組織や組織犯罪集団などが形成されてきた。コロンビアの国内紛争(armed conflict)は、今回和平合意に至った「FARC対政府」という二項対立の図式で単純に解釈できるものではない。国内紛争には、非合法組織だけでなく、国軍や警察などの国家の暴力装置のほか、政府関係者、企業家など、直接武器を手にしなくとも、戦争資金の供給という形で関わってきた多様なアクターが存在する。これがこの国の国内紛争を長期化してきた理由の一つである。FARCとの和平停戦が結実したからといってまだ手放しで喜ぶことはできない。

 とはいえ、コロンビアの和平プロセスが2016年に世界の注目を浴びたのは、結成から52年活動を続け、過去最大の軍事規模を誇ったFARCとの終戦が、歴代政権の和平政策で何度も頓挫したのちに、ようやく成立したからである。和平プロセスを専門に分析してきた政治学者も、今回の政府の取り組みには終戦に向かう可能性を見出していた[1]。事実、作成された和平合意文書の内容は、紛争後社会に向かう具体的な政策アジェンダを示す充実したものであった。しかしながら、サントス政権が牽引した和平交渉をめぐる国政の動きは二極化し、ウリベ前大統領(現在は上院議員)が率いる反対派勢力の力は与党サントス支持派と拮抗した。国民の和平プロセスに対する見方も一様ではなかった。こうした国内の和平プロセスに対する「温度差」の存在は、あまり国際メディアでは伝えられてこなかった。

 FARCとの終戦確定は、9月26日にカルタヘナで合意文書の調印式が華々しく開催されたあと、10月2日の国民投票の結果を待つのみとなった。しかし、多くの世論調査による「余裕で可決される見通し」との予測を裏切り、合意文書は1%にも満たない僅差で否決されてしまったのである。これこそが世界を驚かせたできごとであった。にもかかわらず、その数日後、和平プロセスの進展が評価されたことにより、サントス大統領のノーベル平和賞受賞が決定した。こうした一連のできごとが、国際メディアをコロンビアに注視させた。

 半世紀以上にわたる国内紛争の終結が歴史的ニュースとして伝えられた直後の国民投票の否決は、和平プロセスを見守っていた国際社会に大きな衝撃を与えた。調印された和平合意は宙に浮いてしまった。当時、コロンビア国内でも「辺獄(limbo)に陥った和平プロセス」[2]と受け止められ、和平合意案に対する反対派も含め、FARCとの停戦合意の継続性をめぐって国中が不安に苛まれた。そして、国際社会は、「長年紛争に苦しんだコロンビアにおいて、投票者の半数がNOをつきつけたのが不可解である」という反応を示したのである。平和賞受賞によりコロンビアの和平プロセスに一条の光がさしたと理解され、国際メディアではコロンビア和平に対する関心は遠のいた。しかし、この時期政府はウリベ上院議員を筆頭とする「合意内容に対する反対派」(以下、反対派)との合意形成に必死であった。紛争地域では緊張が続いた。実にこの間、停戦中の数か月で、FARCの支配力が大きかった周辺県ではおよそ30名の社会運動、農民組織の指導者が暗殺されたのである[3]

  政府は反対派の意見を吸い上げ、政府交渉団とFARC代表との間で11月12日に新合意文書が作成された。24日のボゴタでの調印式後、新合意文書は国会に提出され、国会特別総会にて承認審議にかけられた。11月29日、上院で102議席のうち賛成75票、反対0票で、30日には下院で166議席のうち賛成130票、反対0票でそれぞれ可決された。両院とも反対派議員はことごとく棄権した。停戦合意の期日が切れる年内に新合意文書が国会の承認を得たことで、FARCの集団的武装解除プロセスにようやく開始のめどがついた。以下述べるように、「新合意文書」内容の履行には課題が多く、和平構築プロセスはようやくその端緒についたばかりである。それでも半世紀以上にわたったFARCとの紛争終結が結実したことは歴史的な一歩には違いない。

 コロンビアの国内紛争と暴力の問題については、これまでも多くのメディアが取り上げてきたが、紛争がなぜ生まれてきたか、そしてなぜ長期化したか、その本質の理解がなければ、2016年の動きも理解しにくいであろう。本稿では、以下5つのテーマに絞ってコロンビア和平プロセスについて考察する[4]

 

内戦の歴史と現代の国内紛争

 半世紀以上続いた武力紛争にさかのぼり、19世紀の建国過程から、コロンビアは「内戦」の歴史を歩んできた。そして20世紀半ば、その内戦終結の戦略として形成された政治エリート間の合意が「閉ざされた(あるいは歪んだ)民主体制」を生み、これが改革、革新派勢力を排除したことによって、左翼ゲリラが形成されていった。

 今日コロンビアが和平プロセスでめざすのは、複数の暴力主体によって展開されてきた国内武力紛争の解決であり、その先には長期に取り組むべき国民和解構築という課題がある。その第一歩となるのがFARCとの終戦と紛争後社会の建設である。FARCとの終戦が結実しても、ELN(民族解放軍)との停戦交渉や、AUC(コロンビア自警団連合)武装解除後に再生された右派ゲリラ組織(第三世代パラミリタリー)や、武器をもつ犯罪集団(bandas criminals: 縮小して ‘bacrin’と呼ばれている)に対する取り組みが残されている。したがって、冒頭で述べたように、FARCとの紛争終結=和平の到来ではなく、これをもって南米大陸最後の内戦の終結となるわけでもない。

 1960年代以降のコロンビアの国内武力紛争を「内戦」(civil war)とみなすかどうかについては、政治学者、社会学者、歴史学者の間でも論争になってきた[5]。私は、市民が二極対立する政治思想(あるいは対立する民族や宗教的立場)に基づいて殺戮が展開されるような「内戦」や「内乱」とは区別したいという思いから、現代のコロンビアの状況を武力紛争として扱ってきた。以下でみるように、冷戦の終結を経て、左翼ゲリラの思想的支柱も揺らぎ、その戦略も変質した[6]。もう少し歴史を振り返ってみよう。

 19世紀の建国当初から、コロンビアは「1000日戦争」や「ラ・ビオレンシア(暴力の時代)」など、20世紀半ばまで、国を二分した内戦の歴史に苦しんできた。その背景には、保守主義派と自由主義派の二大寡頭勢力(オリガルキー)による政治経済の覇権争いがある。1948年に自由党の改革推進派の指導者であったガイタン(Gaitán)の暗殺を契機に首都ボゴタで暴動が起こり、これが全国各地に飛び火して保守・自由党両派間での内乱となった。これが60年代半ばまで続いた、「ラ・ビオレンシア」である。保守・自由両政党間の政治思想的対立が基盤であるが、農村部の土地所有をめぐる地域紛争とも結びつき、各地で武力闘争に発展した。内戦終結をめざした4年間の軍政を経て、コロンビア政治は1958年から「国民戦線」(Frente Nacional)体制に移行する。これは保守・自由党間での合意に基づく折半統治体制であり、以後16年間、大統領任期4期にわたって交代で両党から元首を立て、各議会の議席や知事職も両党間で二分する体制であった。1974年以降は自由競争選挙になっているが、1990年代の政治体制の多元化の試みを経てもなお、少数エリートによる政治支配の傾向は依然として続いている。この間、左派政党は野党勢力としての地位を確立できず、多くの左派勢力は反体制左翼ゲリラとして山間部で勢力拡大を図っていった。

 留意すべきは、冷戦時代を通じて、コロンビアの政治体制はあくまでも「長期安定民主主義体制」を維持し、左翼運動に明示的な弾圧をした南部諸国の官僚的権威主義体制による長期軍政も、革命運動と正規軍勢力とが国内を2分した中米3カ国のような内戦も経験していないということである。

 しかしながら、長期安定民主体制の下で、1960年代以降、左翼ゲリラ組織の勢力拡大が顕著になった。1970年までに、FARC(コロンビア革命軍)、ELN(民族解放軍)、EPL(解放人民軍)、M-19(4月19日運動)、MAQL(キンティン・ラメ武装運動:先住民運動の武装組織)、PRT(労働者革命党)などの主だった左翼ゲリラ組織が結成された。このうち、EPLの大半とM-19、MAQLは1989~90年の政府との和平交渉により次々と武装解除した。M-19はAD-M-19として合法政党となった。2010年代に入っても武装組織としての活動を維持したのは、FARCとEPLである。

 FARCはコロンビアの左翼ゲリラの中でも最も歴史の古い組織である。その起源は30年代の農民運動と自由党の過激派グループによる活動に遡る。「ラ・ビオレンシア」期に保守党政権に対抗する農民自衛武装組織と共産主義者グループが合体し、自治共同体をトリマ県とウイラ県の境に建設した。これがFARCの前身となる「マルケタリア独立共和国」である。しかし、この共同体が軍の弾圧を受けたため、リーダーのマヌエル・マルランダ(Manuel Marulanda Vélez)ほか42家族が武装化し、1964年に反政府ゲリラとしてFARCを結成した[7]。発足当時は共産党員の思想的影響が強く、マルクス=レーニン主義を掲げていた。80年代末には4,000人、最盛期には3万人近くの戦闘員を擁したといわれる。

 なお、80年代からは、左翼ゲリラ組織に対抗してパラミリタリーが各地で結成され、新たな暴力主体となった。その結成の経緯と組織者の性格は千差万別であるが、政府が正規軍との戦線以外に左翼ゲリラ兵あるいはその協力者に対して拷問や抹殺行為を発動するための、文字通りの準軍事組織である場合と、民間人(特にゲリラの脅威に晒されている層)が自己防衛の手段として武装する自警団としての組織である場合に分けられる。麻薬密売組織の武装化は後者に属する。パラミリタリーの単体は左翼ゲリラ組織と異なり大規模な兵力を抱えるものはなく、比較的小規模で各地に点在する状況にあった。だがパラミリタリーの連合体であるAUC(コロンビア自警軍連合)が1997年に結成され、2000年時には戦闘員およそ8000人を擁する規模となり、2大左翼ゲリラ組織に対する脅威となった。

 

左翼ゲリラの変質

 以上みたように、コロンビアの国内紛争を考える際に、これをFARC対政府という二者関係に限定するのではなく、多様なアクターが関与してきた点を踏まえる必要がある。さらに、左翼ゲリラという名の下に扱われる「反政府非合法武装組織」も、時代とともにその性格を変えてきたことを考慮しなければならない。

 1980年代後半、多元的民主主義を求める政治開放の機運が高まり、1991年の憲法改正につながった。1990年の制憲議会の成立を前に、M-19ほか複数の左翼ゲリラ組織が武装放棄し、M-19は市民政党として政治参加の道を選択した。これは当時の和平交渉の一定の成果とみなされるが、他方で、1984年に結成された左派愛国連合(Unión Patriótica: UP)は、その代表をはじめ多くの政党員が政治暴力によって暗殺され、2000年代には政党としての活動停止に追い込まれたが、2013年に復活した。こうした状況を前に、FARCとELN(民族解放軍)は一層武闘態勢を強めていった。この背景には、1990年代のパラミリタリズムの拡大がある。特にAUCが結成されてから、農村部における社会運動家やコミュニティリーダーなど、左翼ゲリラとの接触が疑われる一般市民も弾圧、殺戮の対象とされていった。こうした政治暴力の悪化と農村部での国軍、パラミリタリーと左翼ゲリラの並存状況によって、中立的立場を維持しにくくなった農民の多くが土地を追われ、強制移住民となった。こうした人々は今日までに累積およそ600 万人にものぼると推計されている。

  他方、1990年代、麻薬密売組織カルテルの勢力が当局の追及によって衰退をみせる頃、FARCは活動資金源を麻薬密売への関与によって確保するようになる。コカの栽培、麻薬精製基地、仲介業者と輸送ルートまでの一連の過程における「課税」によって資金調達を行うと同時に、農村部の支配を拡大していった。行政サービスが及ばない僻村における農民のコカ栽培への関与は、生存戦略の一つでもあった。しかし、この頃からFARCは革命運動の思想的基盤を失い、「ナルコ・ゲリラ」に変質したという認識が生まれていった。

 

和平政策の変遷

 では、政府はこうした状況にどのような対応をしてきたのだろう。表1に1980年代以降の歴代政権の取り組みをまとめた。

表1:歴代政権の和平プロセス

 年  政権名  主な政策と成果
1982~1986 ベタンクール
(保守党)
FARCとの和平交渉に着手、1987年に決裂
1986~1990 バルコ
(自由党)
麻薬密売組織のテロに対する「麻薬戦争」宣言。
1990~1994 ガビリア
(自由党)
制憲議会召集、M-19ほか主要ゲリラ組織の武装解除、パラミリタリーの拡大、トラスカラ(メキシコ)会議頓挫
1994~1998 サンペール
(自由党)
大統領選挙の収賄問題が発覚、和平政策は進展なし。
1998~2002 パストラーナ
(保守党)
サン・ビセンテ・デ・カグアンでの対話交渉の失敗
2002~2010 ウリベ(2期)
(コロンビア第一党)
軍備増強、徹底抗戦路線を展開。パラミリタリーの集団的武装解除、2005年「公平・和平法」、CNRR(全国紛争被害者補償・和解委員会)設立。
2010~現在 サントス(2期目)
(国民統一党<U党>)
2011年「紛争被害者および土地返還法」、対話路線再開。キューバの首都ハバナでの和平交渉によるFARCとの合意文書作成(2016年8月)。国民投票否決。新合意文書が国会で承認(同年11月)。

 

 政府が和平政策に本格的に取り組んだのはベタンクール政権からである。だが、20世紀を通じて、歴代政権の和平交渉はことごとく頓挫した。ウリベ大統領は一転してタカ派路線を貫き、軍事力強化によって当時最大の勢力を誇っていたFARCへの徹底抗戦により、その戦力衰退に追い込んだ。

  サントス大統領はもともとウリベ政権期の国防相を務め、そのタカ派路線を牽引した閣僚の一人であった。しかし、2010年に政権を引き継いだ直後から、ウリベ政権時代に悪化したベネズエラ、エクアドルなど隣国との外交関係の修復にも力を注ぎ、左翼ゲリラに対する姿勢も抗戦路線から対話路線に転じた。そして満を持して和平プロセスを対話路線に切り替えた。以来、徹底抗戦による和平構築を求めていたウリベ前大統領(上院議員)とは袂を分かつことになり、2013年、ウリベは民主自由党(Centro Democrático)を結党、ウリベ派を確立する。以後ウリベ派と与党との間で国政は二極分裂してゆく。むろん、2008年に当時のFARCの最高幹部マルランダが死亡し、その後2011年11月、カノ(Alfonso Cano)最高司令官が政府治安部隊との戦闘において死亡するなど、ウリベ政権期の掃討作戦によってFARCの戦力が急速に衰退したことも大きい。またカノののちに最高司令官となったティモチェンコ(Timochenko, 俗称)は武闘派というよりも実利的で、サントス政権が対話路線に切り替える条件がそろったともみなされている。こうした状況下で、ノルウェー政府の仲介を経て、FARC幹部と政府代表との最初の交渉会議が2012年10月、オスロでもたれ、こののち和平合意をめざす対話はキューバのハバナを拠点として続行されることが決まったのであった。

 サントス政権は4年以上の年月をかけ、停戦後の和平構築アジェンダとしての和平合意文書の作成にこぎつけたのである。後に述べるように、ハバナで作成された合意文書の内容は、終戦後のFARC兵の社会復帰、紛争被害者への補償、そして国民和解という紛争後社会の構築をめざすだけでなく、武力紛争の原因となっていた社会格差、特に土地問題をはじめとする農村の発展の遅れや、政治体制の多元化の必要性など、コロンビアの構造的諸問題に対する政策アジェンダを掲げたものであり、評価に値するものであった。しかし、サントス政権への支持率の低迷や、和平プロセスそのものへの国民の不信感、あるいは無関心が都市部を中心に広まっていたことも確かで、サントス大統領は国民の合意を確実なものにする必要性に迫られた。本来の法的手続きにおいては義務付けられていなかった和平合意内容を国民投票にはかったのにはこのような背景がある。

 サントス政権第一期の最終段階ではサントスの支持率は下降し、他方、ウリベの後継者と目されたスルアガ元財務相を中心とするウリベ派の勢いは依然として強かった。サントス大統領が二期目を狙って行われた2014年の大統領選挙では、第二ラウンドにまでもちこされ、最終的に小差でサントス大統領が逃げ切った形になった。この間続けられてきた和平プロセスにも紆余曲折があり、必ずしも順風満帆な和平交渉ではなかった。また、2014年に起こった農民ストや国内の市民社会のサントス政権の経済政策一般に対する反発もあり、ウリベ政権が軍事増強で獲得した治安改善との対比において、サントス政権に対する評価に影を落とすことになった。和平合意内容の根幹が固まった2016年に入っても、サントス大統領の支持率は30%を下回るなど、低迷が続いた。

 国際社会からは、和平プロセスへの取り組みにおいてサントス政権が人権問題や土地回復への法的枠組みを強化し(2011年の「紛争被害者・土地返還法」)、紛争被害者補償に尽力したことに対する評価は高かった。他方、FARCとの停戦合意を確実にするためにその他の項目では、過去の和平交渉とは異なり、譲歩をもってFARCとの合意形成をめざした。この点が、国民の反発を買い、国民投票でのNO票の増大を招くことにもなった。政権交代(2018年)において、たとえウリベ派が率いる野党が返り咲いた場合でも、和平合意内容の遂行を確実なものにしておきたかったサントスは、調印ずみの和平合意を国民の審議にかけたわけだが、賛成49.73%、反対50.37%で否決された。

 

否決された国民投票―国民の紛争に対する意識

  国民投票の否決後、メディアは「なぜコロンビア国民は和平合意に反対したのか」という疑問を突き付けた。確かに「和平について、総論賛成、各論反対」というロジックは理解しにくい。「No」に票を投じた有権者にしても、どれだけ和平合意内容の可否を国民投票にかける意義を理解し、またその結果が与え得る国内外の影響を予見したうえで決断したかは疑わしい。和平合意内容の一側面への批判や現サントス政権の経済政策への不満から、そして親ウリベという立場から反対票を投じた有権者も多かった。すでに拙稿において、①政府による合意文書の国民に対する理解を求める努力が不足していたこと、②反対派によるNoを促すダーティ・キャンペーンが露骨に展開されていたこと、③保守系の教会関係者による紛争被害女性やマイノリティ・グループに対する「ジェンダー・パースペクティブ」の曲解などを否決の原因として指摘したが、私が最も深刻な問題として受け取ったのが「有権者の和平プロセスと紛争に対するアパシー」で、それは都市の中間層、低所得者層に顕著であり、こうした感情がFARCへの反感に収斂されたという現象であった。

 むろん、後述するように、合意内容には課題も多かった。その筆頭がFARCに譲歩しすぎであるという批判であり、1990年代以降のFARCの体質変化の結果、増幅された市民のFARCへの嫌悪感がその根本にあった。他方、この国の過去の和平プロセスや政治体制そのものへの信頼度の低さが、政治的アパシーにつながり、和平プロセスについても同様の投票行動を生んだ。特に、紛争地にならなかった都市部では、ハバナでの和平交渉を自らの問題として受け止めた市民は限られていた。こうした都市と農村、特に長年武力紛争で苦しんできた周辺地域の農村部と中央都市部との温度差が、投票行動にも反映された。紛争地域では賛成(Si)が優勢であったが、小差で賛成(Si)が勝ったボゴタと隣県のボヤカを除いて、中核都市を擁する中央地域はことごとく反対(No)が勝ったのである。

 

ハバナ合意文書から新合意文書まで―争点と課題

 ハバナで合意に至った合意文書は「総合的農村開発」、「政治参加」、「終戦」、「麻薬関連問題」、「被害者補償と移行期正義」、「履行手続きとその確認プロセス」の6つの柱から構成されている。その後、新合意文書では多くの修正が施されたが、構成自体は変わっていない。FARCとの合意文書の内容、そして反対派との争点とその後の修正点についてみておこう[8]

1) 総合的農村開発(Reforma Rural Integral

 農村開発は、6つの支柱の中で最初に合意に至った項目であり、紛争の根本的解決のためにFARCが主張してきた貧困農村、特に土地なし農民への土地分配と食糧・栄養の保証、生活向上をめざす政策アジェンダである。ただし、農民運動が伝統的に掲げてきたいわゆる農地改革政策とは異なる。土地無し農民への無償土地分配基金の設立や灌漑設備、クレジット、技術支援、流通支援などが中心となる。中小規模農家育成計画も引き続き推進する。ハバナの合意文書では、農業開発フロンティアを規定し、環境保全地区と ZRC(農民保留地)を維持発展させることを明記したが、紛争被害者への土地返還対象となる土地がすでに転売されている場合、現在の所有者の私有権には抵触しないことが新合意文書では明確化された。また、ZRCの新規拡大についても政府は否定的な方針を示した。結局のところ、土地無し農民への土地提供をどのように行うのか、不明な点も多い。このほか、紛争による損害が著しかった地域の再開発や、医療、教育、住宅などの社会サービスの向上、家族農の生産性向上のために協同組合主義の促進や連帯的アソシエーションの組織化を支援することが謳われた。

2) 政治参加

 具体的にはFARC元幹部が市民政党を結成し、国政への参加の道を開くことを念頭においているが、紛争のもうひとつの根本的原因であった、閉ざされたエリート中心の民主体制を開かれた民主主義に転換すること、すなわち多元的民主主義の促進をめざしている。最初の和平合意では、向こう2国会会期に限り、上院下院ともそれぞれ「和平のための移行期特別議席枠(Circunscripciones Transitorias Especiales de Paz)」として4議席ずつ、武装解除後のFARC政党に議席が保証されていた。しかし、反対派は、FARC政党に対して特権を与えることは容認できないと反発した。Noを投じた有権者にもこの点への不満は大きかったようである。 新合意文書では、FARCの社会復帰によって誕生する新政党は、他の野党と同じ条件で選挙戦を戦わねばならなくなり、優遇措置はなくなった。16の新議席枠は紛争被害者とそのコミュニティ代表に提供されることとなった。重要なのは、FARC 新党の政治活動において、その安全が保障されることであろう。UPの悲劇を繰り返してはならない。

3) 終戦:戦争行為の終結と武装放棄

 これには、FARC兵の市民生活への復帰(再統合)プロセスも含まれる。そして、紛争再発を回避するための、平和的共生の構築が求められる。このため、「対人地雷、即席爆発装置(IED)のほか不発弾などの除去」作業を政府とFARCとの協力で行い、紛争地域における市民社会との信頼関係の構築に努める。また、政府は政治家の安全を保障するとともに、人権擁護活動家に対する暴力行為を行う犯罪組織の根絶にあたる。

4) 麻薬関連問題の解決

 違法作物(コカ)の代替作物栽培への自主的転換促進とコカの撲滅をめざし、新「違法作物代替とオルタナティブ開発プログラム」の策定を行う。他方、消費面については、「違法薬物消費に対する統合的関与の国家プログラム」により、啓蒙活動を推進し、「違法薬物消費者への国家支援システム」を通じ、薬物常用者のリハビリと社会復帰を支援する。麻薬密売組織に対しては、その撲滅をめざし、犯罪に対する政策・戦略の刷新と、麻薬密売に関連する腐敗に対する取り締まり強化を伴う。

 争点となったのは、FARCの麻薬密売への関与をどの法的枠組みで裁くか、という問題であった。 麻薬密売への関与はFARC側も事実として認めているが、移行期正義によって減刑がほどこされるとしたら、彼らの麻薬密売への関与も政治犯罪として裁かれることになってしまう。麻薬密売への関与の目的の解釈が争点となっている。憲法裁判所は、「麻薬密売への関与が、FARCの軍事資金確保の目的に限定されているのならば」政治犯としての罪状に含むという解釈を認める立場をとっている。しかし、ウリベもパストラーナ元大統領も、FARCが経済的繁栄のために麻薬密売に直接関与したという前提にたって反論してきた。新合意文書では、麻薬密売と紛争資金との関連性については憲法裁判所の司法枠組みで追及することが加えられた。麻薬密売犯罪はコロンビアの刑法が適用されること、またその法手続きは通常の法的枠組みに従うことが確認された。また、政治犯罪と麻薬密売犯罪との関わりについても、個々の事例ごとにコロンビアの裁判所で裁定されることとなった。

5) 紛争被害者問題と移行期正義

 「真実、正義、補償と(戦争を)繰り返さないための統合システム」(SIVJRNR:Sistema Integral de Verdad, Justicia, Reparación y No Repetición)が制定される。同システムの目的は、紛争被害者の権利の回復と真相究明にある。また、戦争時の行方不明者捜索のための特別ユニットも創設される予定である。また、移行期正義追及の中枢機関としての平和裁判所、真相究明法廷、恩赦法廷、調査・起訴ユニットなどが制定される。「和平のための特別法廷」(Jurisdicción Especial por la Paz: JEP)には、ゲリラ兵のほか、軍や国家警察であったとしても戦争犯罪容疑者は対象となる。「統合的補償措置」の一環として、FARC兵は①真相の集団的認知と責任;②補償に資する具体的行動(紛争地のインフラ整備、対人地雷の撤去、違法作物の代替、環境破壊の補償事業への参加)に資するほか、紛争被害者に対しては、③紛争地全体に焦点を当てた集団的補償の強化;④心理・社会的リハビリ;⑤強制移住者の集団的帰還と在外の紛争被害者への補償;⑥土地変換措置;⑦紛争被害者への支援と補償政策実施のための被害者組織の参加強化などが提言されている。

 移行期正義とは紛争の和平過程において、紛争中に行われた戦闘行為やそのほかの様々な人権侵害に対して、その行為者に対し、真相の追及と法的審理が行われ、加害者には処罰を、被害者には補償を与えることで実施される正義のことである。紛争後社会における和解構築のために必須のプロセスである。被害者補償と移行期正義は、ハバナでの合意到達にも時間がかかり、その後、合意文書に対する反対派の争点が集中した項目である。

 第一に、FARC兵の服役内容に対して、政府が譲歩し過ぎであるという国民感情があった。これをつきつめれば、「どこまで加害者と被害者とが相互に赦しあえるか」、という国民和解の構築という長期的に取り組むべき課題に行き着く。合意内容では、通常の司法システムとは独立した「和平のための特別法廷」(JEP)を新設することとし、真実を告白したものには5年から最大8年間、武装解除後、特定の紛争被害農村部で勤労に服させるというものであった。この「服役」をどう評価するか、国民投票にNoを投じた人々には、FARC兵の犯罪の追及の手が生ぬるい、あるいは「責任者だけは絶対赦せない」という感情もあった。しかし新合意文書では、対象となる元FARC兵の自由拘束の方法がより明確化されたものの、服役年数などの変更はなかった。 

 ウリベ派の争点はむしろ、「誰が裁きの対象になるか」という点にあった。「和平のための特別法廷」では「FARC以外の紛争中の人権侵害問題の関与者もあまねく審議対象となる」ことが確認されているが、ここには軍関係者やパラミリタリー、そして政府関係者も含まれるからである。ウリベ上院議員の大統領任期中、FARCに対する国軍の戦闘は強化され、戦闘路線での和平プロセスがめざされたが、紛争地ではこの間パラミリタリーによる人権侵害も増大した。政府関係者の人権侵害に対する責任追及は、FARCが移行期正義交渉において譲れない一線であった。 

 移行期正義に関するもう一つの論点は裁判手続きに関するものである。反対派が提示したのは、「和平のための特別法廷」はボゴタの高等裁判所直属とし、最終裁定は最高裁にゆだねられる、というものである。外国籍判事の参加も認められず、通常の司法枠組みに組み込まれるというものである。さらに、「和平のための特別法廷」の裁きの対象となるのは、FARCメンバーの罪状審議に限定されるという主張が出されたが、これは軍、企業家、政治家ほかその他の紛争に関与した人々が和平裁判所での裁きの対象からははずれる可能性がある。結局、反対派による要請に基づき、新合意文書では移行期正義を憲法裁判所経由での通常の司法手続きに含めることになった。今後は最高裁判事が「和平のための特別法廷」に対して、最終的な影響力をもつことになる。この場合、重要案件に対する異議申し立ての効力が高まり、減刑に対する「和平のための特別法廷」による裁定結果が不安定になる可能性が高まることになる。だが、「和平のための特別法廷」が紛争被害に関与したとされる「戦闘員以外の第三者」をさばく権限をはずすようにというウリベ派の要求は通らなかった。新しい合意文書においても、移行期正義の対象範囲は変わらず、紛争行為者に対する資金援助などによってより重大な罪状に積極的に加担したとされる罪状を、「和平のための特別法廷」は追及する権限をもつ。この点は評価したい。

 被害者補償について争点となったのは、「FARCの物質的補償への貢献」についてであった。FARCが取得したとされる財産の内容提示とその返還をめぐる批判や憶測は有権者の中でも強かった。FARCの財産については不明点が多く、制圧地の土地以外に、国外に数多く資金源をもつと推測されている。課題は被害者補償のためにFARCがその資産を引き渡すかどうかということだ。新合意文書では、FARCは被害者に物質的補償として提供する資産目録の提出が義務づけられた。

 紛争被害者への補償は、特に強制移住民への土地返還が困難を極めることだろう。大土地所有制の実質的な温存によって、貧困農民は伝統的に土地所有権を保有してこなかったため、法的に極めて弱い立場に置かれている。2011年の「紛争被害者への土地返還法」によって政府の取り組みは開始されたが、他方、歴史的に戦闘が著しかった地域で土地を追われた被害者の土地を、「善意で購入した」現在の所有者(または企業)には土地返還が義務付けられるのか、という議論が起こった。返還義務を免責する場合、善意で土地購入した所有者に、その手続き根拠を提示して潔白であることを証明させなければならない。反対派は「善意で購入した」とされる企業所有の土地を守ることをより重視している。政府は、 紛争の根本原因の一つである大土地所有制にメスを入れるのではなく、結局はさらに農地フロンティアを拡大することで対応しようとしており、この国の土地分配における格差や不正義に対する抜本的解決にはつながらない。

6) 和平合意の施行と確認方法“Mecanismos de implementación y verificación”

 和平合意内容の施行に対するフォローアップ、推進、確認委員会が政府とFARC代表によって構成される。和平対話交渉に証人として同伴した諸外国の代表によって構成される点検メカニズムも必要である。

 この項目ともつながるが、新合意文書が出てからも難航したのは、和平合意内容の法制化手続きの解釈についてであった。2016年7月に提出された「平和特別法令(Acto Legislativo para la Paz)」(Acto Legislativoとは大統領権限によって通常の国会における法案審議を経ずに速やかに法制化することができる法令)を根拠に、いわゆるファスト・トラックによる法制化を進める案が出ていたが、これに対し反対派からは、国会で通常の立法過程にのっとって法案審議に付されるべきであるという強い抵抗があった。

  これは憲法裁判所への「平和特別法令」に対する異議申し立てに発展し、ファスト・トラックの合憲性について審議が続いた。合意内容が国会審議において速やかに法制化され、政策執行に移されるためにはファスト・トラックのメカニズムに対する合憲判定は必須であった。和平合意調印後、6か月内にFARCの武装解除が実施されると同時に、その他の合意文書内容の政策実施にあたって、様々な新規政府担当機関が設立されることがアジェンダとして組まれていたためである。政府とFARC代表は、新合意文書が国会で承認された日の翌日(12月1日)をD-dayとし、この日からむこう6ヶ月を武装解除(disarmament)期間とした。1万2000名のFARC兵が、武装解除および市民社会への復帰プロセスのための収容地帯(20箇所の収容村、正式名称はZonas Veredales Transitorias de Normalizaciónと7カ所のキャンプ、正式名称はPuntos Transitorios de Normalización)へ、順次集団移動を開始しなければならない[9]。憲法裁判所の審議は長引いたが、結局2016年12月12日、ファスト・トラックに対する合憲判決が出された。これによって和平合意内容の政策策定は大統領権限による制度化によって推進されることになった。すべての制度を国会法案審議にかければ国政が割れている以上、和平合意案の実現は遠のき、2018年の大統領キャンペーンにからめた政争になりかねなかった。選挙を来年に控えた現在、国政二極化の影響が払拭されたわけではないが、少なくともサントス政権は残された任期中に和平プロセスの具体化に着手することができる。2017年1月18日付のEl Tiempo紙によれば、「2017年1月31日にはすべてのFARCの小隊が収容村に移動完了となる見通し」と軍責任者が大統領官邸における記者会見でコメントを出した。当初のシナリオよりおよそ1ヵ月ずれ込んだとはいえ、FARC兵の社会復帰プロセスがようやく本格的に開始されることになる。

 

展望

 新合意文書が国会で承認されたとはいえ、真の国民採否は結局のところ2018年の大統領選ではかられることになるだろう。新政権で新和平合意内容が反故にされないためには、国政におけるコンセンサス形成が必須である。国民審議の手続きのいかんに関わらず、これは政治エリートの意思の問題であるが、コロンビアの政治体質を簡単に変えることは難しく、FARCとの合意形成過程においてもこの点はむしろ硬直化したと言える。

  国民の合意形成にむけて可能性を抱かせるシナリオは、市民社会のイニシアティブがどこまで力をもち、政府がそれを取り込まざるをえない状況を作り出すかにかかっている。

 私が今後コロンビアで国民の合意形成と和解構築をめざすのに必要不可欠と考えるのは次の2点である。 

1) ローカルの民衆の視点で理解すべき紛争と和平 

 和平構築を市民一人ひとりが他人事ではなく自分が関与すべき問題として考えることが必要である。紛争が農村部、特に周辺県に集中してきたこと、そして半世紀以上も続いてきたことは、確かに紛争の実態を目の当たりにしてこなかった都市部住民、特に若い世代には紛争と和平の問題を自分たちの問題としてとらえにくいことかもしれない。だが、国民和解構築には紛争が刻んだ半世紀以上の時間が必要である。そしてそれを担うのは若者世代である。コロンビアでは、地勢的特徴からも、都市と農村の分断は著しい。これを超えるには各地方から市民が声をあげてゆくことが大切である。

 幸いにも、和平を求める市民の動きは、国民投票否決後、全国的な動員を伴い拡大している。国民投票が僅差で否決され、政府も、賛成派市民もそのショック状況にあった10月5日、学生主導の「和平を求める静かな行進」が全国14都市で展開された。ボゴタだけでも総動員数は6万人を超え、26大学の学生がイニシアティブをとった。宙に浮いてしまった和平プロセスに対し、危機感を抱いた若者がとったこの行動は、市民社会に和平の重要性を改めて認識させ、覚醒効果をもたらした。こうした行動は、紛争地で長年苦しんできた人々の「日常生活をとりもどすための抵抗運動」を支えてゆく力になるだろう。

2) 政治エリートの利権放棄と開発パラダイムの転換

 これから長い年月をかけてコロンビア社会が構築していかなければならない和平と国民和解は、結局のところ、政治エリート主体の政治体制を民主化することと、資本家・企業家重視の経済政策にメスを入れ、民衆の主体性が認識される新しい開発パラダイムを確立できるか、という問題にゆきつく。政府がこの必要性を認め、ともに真剣に取り組まなければ、国民の合意形成も遠く、和平プロセスは政治リーダーによる駆け引きに終始してしまうだろう。

  2000年代を通じて右派親米路線を貫いてきたとみなされるコロンビアであるが、和平合意後の政策アジェンダの根幹である「総合的農村開発」が実現されれば、右派ネオリベラル路線であったコロンビアの経済発展政策が、社会階層間格差を是正し、社会的包摂をめざす経済発展を推進する方向に歩み寄りをみせることになる。だが、あくまでもサントス政権の農村開発政策は、農業フロンティアを拡大する路線にあり、多国籍企業主導の採取経済やアグロインダストリーの推進を緩めるわけではない。土地政策が今後の経済開発と政府の資源開発における統制力を決定づけることになるだろう。また反対派は、パラミリタリーに関与した企業家が紛争中に獲得した土地について、その所有権を擁護することを主張し続けており、新和平合意ではその点は曖昧にされたままである。ウリベ政権期の麻薬密売組織、パラミリタリーと政治家の関与が放置され、また軍やパラミリタリーの不正行為のもみ消しが行われれば、移行期正義も実行されない。  

 ウリベ派にせよ、サントス派にせよ、政治エリートが紛争を長引かせることで得てきた利益を手放さない限り、真の国民合意は形成されない。これが前提となって初めて和平合意アジェンダの履行が進む。理想論に聞こえるかもしれないが、政策立案者の発想の転換なくして開発パラダイムの転換は実現しない。

[1] 例えば、Nasi Carlo, “Las negociaciones de paz en Colombia de 1982 a 2015: un balance” 『イベロアメリカ研究』第37巻第2号、1-25頁を参照されたい。

[2] 辺獄(リンボ、ラテン語に起源)とは、カトリック教会で、「洗礼前の幼児が亡くなった場合、地獄と天国の間で永遠にさまよう場所、地獄の周辺」と理解されている概念。10月の国民投票結果の直後、停戦をはじめとする和平プロセスが宙に浮いてしまい、その進退が不明となり不安定な状況に陥った様子を揶揄して使われる。そのほか、法的枠組みの制約や矛盾に対してある事柄の解決方法が定まらなくなるときもこの概念で表現される。

[3] http://lasillavacia.com/hagame-el-cruce/asi-son-los-lideres-asesinados-durante-el-cese-58874(“Así son los líderes asesinados durante el cese”(停戦中に殺害されたリーダーたちのプロフィールについて書かれた記事)(2017年1月24日最終アクセス)。

[4] 本稿は、拙稿「崖っぷちに立たされたコロンビア和平の行方」『世界』2016年12月号No.889 29-32頁;「コロンビア和平プロセスの課題――新和平合意をめぐって」『SYNODOS』2016年12月9日(http://synodos.jp/international/18706)、「和平 52 年ぶり紛争終結のコロンビア」『週刊エコノミスト』2016年12月27日号42-43頁、などを踏まえている。

[5] 例えば、Carbó, Eduardo Posada, Carlo Nasi, William Ramírez Tobón, y Eric Lair “Guerra civil”, Revista de Estudios Sociales, Junio 2003, No.15, pp.157-162 (https://res.uniandes.edu.co/view.php/482/index.php?id=482) が参考になる。

[6]一方で、戦闘の規模が全土的なものか、あるいは武器をとった市民の割合が多数であったかどうかで図る考え方もある。この適切性には議論があるが、こうした暴力の次元で考える立場をとるならば、コロンビアの年間暴力指標(人口10万人当たりの殺人件数)や国内紛争によって落命した累積犠牲者数で測れば、「内戦」と呼ぶにふさわしい状況であったかもしれない。また、これを内戦と認識しなければ、和平交渉や移行期正義の議論が正当化されない、という見解もある。

[7] 二村久則「プラン・コロンビアとコロンビアの民主主義」『国際政治』131号2002年、33-48頁。

[8] 以下はハバナで合意された和平合意文書の骨子に新合意文書での修正点を加えたものである。なお、現行の「新合意文書」は全文以下からダウンロード可能である。http://www.elespectador.com/files/pdf_files/597c60eb35c55f02629da71e72e51921.pdf

[9] これらの収容村の場所は以下で確認できる。http://colombia2020.elespectador.com/pais/el-mapa-final-para-la-concentracion-de-las-farc