「アジア平和構築イニシアティブ(Asian Peacebuilding Initiative, APBI)」プロジェクトは、アジア各地の紛争の状況や和平の動きについて調査・分析した結果を本サイトを通じて幅広い読者に提供していきます。

 地域研究や国際関係の専門家による分析記事、コメンタリーなどを掲載するとともに、現地の最新の動向も掲載していきます。当面は、フィリピン南部、タイ南部、ミャンマー、バングラデシュの4つの地域を主に取り上げます。


フィリピン南部

 フィリピン南部では、過去45年以上にわたって武力紛争が展開されている。キリスト教徒の移民入植に伴って、政治的、経済的権利を奪われ、不満を強めたムスリムを中心とした南部の住民が、1970年前後にモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front: MNLF)を結成し、独立(のちに自己決定権)を求める分離運動を開始した。
 その後、1984年(実質的には1970年代後半)にMNLFからモロイスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front: MILF)が分派した。以来、MNLFとMILFは政府軍と武力衝突を繰り返しつつもフィリピン政府と和平交渉を行い、南部に彼らが自己決定権を行使することができる自治政府の設立を目指している。
 MNLFとフィリピン政府は、1976年にトリポリ合意、1996年に最終和平合意を結んだが、合意の実施過程で対立し、1996年最終和平合意の履行について話し合いを継続している。
 MILFとフィリピン政府は2012年10月にバンサモロ枠組合意(Framework Agreement on Bangsamoro)、2014年3 月にバンサモロ包括的和平合意(Comprehensive Agreement on Bangsamoro)に署名し、それらの合意文書にもとづいて新たな自治政府設立するための法律制定に向けて動いている。


タイ深南部

 マレーシアとの国境に近いタイ深南部(パッターニー県、ヤラー県、ナラーティワート県、及びソンクラー県の4つの郡)は、かつてパタニ王国の統治下にあった。しかし1909年にタイとイギリスとの交渉によって、この地域はタイの統治下に置かれることになった。この地域の住民の多くはマレー系イスラーム教徒で、タイ政府による強圧的な同化政策に不満を抱いている人が多い。2004年以降、紛争が激化し、現在も爆弾事件、襲撃事件などが続いており、2004年から現在までの死者は約6,000人に及んでいる。

 2013年から、タイ政府と反政府武装組織との間で和平対話が行われるようになり、この「対話」は現在も断続的に継続されている。対話が継続されることによって、実際に「対話」を行っている実務担当者間には一定の信頼関係が築かれつつあるが、現在もあくまで「対話」という位置付けで、正式の「交渉」を行うには至っていない。


ミャンマー

 1948年に独立して以来、ミャンマーは長期にわたり少数民族問題に悩まされ、宗教間対立も深刻化している。人口の6割強を占めるビルマ民族(バマー)が中心となる体制が続いており、経済的・政治的に抑圧されやすい少数民族側の武力蜂起が起き、民主化後も根本的解決には至っていない。このようななかにあって、2017年8月下旬以来、ミャンマー西部ラカイン(アラカン)州の北西部に住むムスリム系少数民族ロヒンギャが、隣国バングラデシュに大量に難民となって流出する事態が生じ、その数は69万人に達している。

 現在のミャンマー国籍法(1982年市民権法)では、英国による最初の侵略戦争(第一次英緬戦争)が生じた前年にあたる1823年以前から住んでいた人々の末裔だけが「土着民族」と定義され、誰がそれに該当するかは国家に決定権があると規定されている。実際には、人口の65%前後を占めるバマーを筆頭に、全135の民族が「土着民族」とみなされ、彼らには国籍が自動的に付与されている。一方、1824年以降にミャンマーへ移住したとみなされる人々の末裔については、個別に審査を行って判断することになっている。審査によって正規の国籍が与えられることもあるが、格下の「準国民」や「帰化国民」という認定を受けることも多い。

 ロヒンギャの場合、国籍そのものが剥奪された状態にある。ミャンマーでは政府も軍も国民世論も、ロヒンギャをベンガル地方(現在のバングラデシュ)から「不法に」入ってきた外国人とみなしている。一般のロヒンギャ住民とはほとんど接触のない「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」を名乗る武装組織が、2017年8月25日未明に数百名の規模で政府軍や警察施設を襲撃したことをきっかけに、その取り締まりを理由に、軍、警察、仏教徒の私兵団がロヒンギャ住民を武力で追い出しにかかり、一部で放火や殺人をおこない、その後は住居の跡地を更地にするなどの抑圧を行っている。そのため、難民たちの帰還の見通しは立っておらず、バングラデシュ最南部に広がる難民キャンプでのロヒンギャの生活は、劣悪な状況のまま長期化する可能性が高い。

 ミャンマー政府はこうした事態に対し、2016年8月に発足させたコフィ・アナン元国連事務総長が委員長を務めた諮問委員会が翌年8月に公表した答申に従って、ロヒンギャに国籍を付与する方向で努力する旨を表明している。しかし、ロヒンギャという民族名の使用は認めておらず、またどのような基準で審査を行って国籍付与を認めるのかについても何ら示していない。何よりもそれ以前の問題として、大量の難民の安全な帰還と、帰還後の生活環境の整備をおこなうことが急務となっている。2017年12月にはコフィ・アナン答申を具体化させるための新たな第三者委員会が発足したが、委員の一人がすぐに辞任するなど、その機能を十分に果たしているとはいえない現状にある。


バングラデシュ(チッタゴン丘陵問題)

 バングラデシュ南東部に位置するチッタゴン丘陵では、ジュマと呼ばれる約60万人のモンゴロイド系民族が、焼畑農業を営みながら暮らしてきた。バングラデシュ政府は、平野部のベンガル人をジュマの人びとが住むチッタゴン丘陵に入植させる政策をとっており、ベンガル人入植者とジュマの間で土地をめぐる争議や暴力事件が頻発している。過去に少なくとも13回の虐殺事件が発生し、約6万人のジュマがインドに逃れ難民となっている。これに対してジュマは軍事組織を結成して対抗する姿勢をみせたため、チッタゴン丘陵は紛争状態となった。
 インドの仲介による交渉が何度かもたれた結果、1997年12月にジュマの政治団体であるPCJSSと政府の間で和平協定が結ばれた。協定はインドに避難したジュマの難民の帰還、土地の返還、軍の撤退、先住民族を優先した政治体制の実現などを条件に、2000人近いジュマの軍事組織の武装解除が行なうというものであった。しかし、武装解除は進んだものの、交換条件であった土地の返還や軍の撤退はほとんど実施されておらず、政府とジュマ社会の緊張関係は現在も継続している。


平和構築全般