バンサモロ和平住民投票 ‐ 新しく且つ画期的な局面を迎えて

落合 直之

(JICA – 国際協力機構)

 

 2018年7月、フィリピン共和国法第11054号「バンサモロ・・ムスリム・ミンダナオ自治地域基本法(Organic Law for the Bangsamoro Autonomous Region in Muslim Mindanao; BOL)」が成立したことにより、50年に及ぶバンサモロの闘いは新しく且つ画期的な局面を迎えた。2019年1月21日に実施が予定されている住民投票の結果により、2022年に発足する予定であるバンサモロ自治政府へと繋ぐバンサモロ暫定政府(Bangsamoro Transitional Authority; BTA)が設立されるともに、現行のムスリム・ミンダナオ自治政府(Autonomous Region in Muslim Mindanao; ARMM)は廃止される。

 1960年代後半から現在に至り、バンサモロの歴史的不正義を是正し、分離独立から高度な自治を求める政治及び軍事的行動が繰り広げられて来た過程において、節目節目でバンサモロ武装組織は分派を繰り返して来た。その度にミンダナオ地域では、暴力的過激主義が伸長して来たと思われる。

 今回の住民投票は次のとおり行われる。住民投票の対象となるのは、①現在のARMM自治地域を構成するマギンダナオ州、南ラナオ州、バシラン州、スールー州、タウィタウィ州の5州及びマラウィ市とラミタン市、②2001年のARMM再編住民投票にて、賛成票が過半数を占めた北コタバト州内の39村と、北ラナオ州内の6町、③コタバト市及びイザベラ市、④これらの隣接地域にて、住民の1割以上が住民投票の実施を求め且つ過半数の賛成が得られた地域。それぞれの地域で独自且つ独特の政治・経済的事情を有しており、住民投票の結果として想定されるシナリオは、①から③まで全てがバンサモロ領域に取り組まれることになる最善なものから、逆に①から③まで全てが領域に入らないという最悪な結果も考えられる。住民投票の結果如何では、既存のバンサモロ武装過激組織の合従連衡や、新しい武装過激組織の誕生が想定される。

 バンサモロ自治政府の発足に至る重要な一里塚である今回の住民投票を巡る政治状況から、今後の政治及び治安情勢を考える。

 

バンサモロ武装組織の誕生

 1968年3月、マニラ湾に浮かぶコレヒドール島で、スールー諸島から訓練のために送られていた若いムスリム系フィリピン国軍兵士が暴動を起こしたとして、キリスト教系将校に殺害される事件が起こった。殺害に関与した将校が軍事法廷で無罪放免となるや、ムスリム社会のキリスト社会に対する感情は憤怒の域に達し、これを契機に両者の武力抗争は激しさを増すようになり、ムスリムの間ではモロとしての連帯の叫びが喚起されるようになった。当時マニラにある国立フィリピン大学で教鞭を取っていたヌル・ミスアリら、マニラに居住していたムスリム達は、「今世紀最悪の犯罪」だと主張して抗議デモを繰り広げた。同時に、ミンダナオ島やスールー諸島の各所で、ムスリム系及びクリスチャン系武装集団同士の抗争がエスカレートし、1971年初頭には3万人を越す一般住民が武力攻撃を避けて農地や村を離れた。こうした武力闘争の激化にもかかわらず、ムスリムの知識人の多くは窮状の救済を中央政府に要求しつつも、フィリピン人としての国民的統合の重要性を強調し、少数民族の自治やイスラーム教の尊重が反映されるように、政府に対して要求した。

 しかし、1972年にマルコス大統領により戒厳令が布告されたことが、ムスリムの希望を打ち砕いた。この様な背景の基に、ヌル・ミスアリはアブドゥール・アロント及びハシム・サラマットらと共に、バンサモロ(Bangsa Moro=モロの人々や土地)の独立を目指し、モロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front; MNLF)を結成し、武装闘争を本格的に開始した。

 戒厳令の施行後、ムスリムとキリスト系武装集団の抗争は激しさを増した。MNLFはこの流れに押され、独自の政治及び軍事行動を加速させて行き、スールー島、マギンダナオ州やサンボアンガ州などミンダナオの各地で軍事行動を実行した。ムスリムの政治・軍事集団の一つに過ぎなかったMNLFは、戒厳令下で不満を一層募らせていたムスリム系の住民や若い世代の指導者達から多くの支持を得て、ムスリムの利益を代表する中心的な存在に変容していった。

 MNLFは発足当初、マレーシア・サバ州の政治的有力者の協力を得て、同州内で秘密裏に軍事教練を行っていた。また、1970年代初頭からイスラム諸国機構(OIC)に参加するムスリム諸国の指導者達は、バンサモロの置かれている状況に対して深く憂慮していた。中でもリビアの指導者カダフィ氏は、MNLFに対して資金及び軍事的側面で支援を行い、リビア政府の働きかけで大量の武器がMNLFに提供された。またこの時代には、MNLFのメンバーはパキスタン等に軍事教練に赴いており、現在の指導者も参加している。

 

分派

 1976年、イスラム諸国機構の仲介により、フィリピン政府とMNLFとの間で、フィリピンの主権と領土的一体性の枠組みの下で自治を与えることを骨子とする「トリポリ協定」が締結された。しかし、ヌル・ミスアリとハシム・サラマットとの間では、武装運動の目的や方法論を巡って対立が表面化すると共に激化した。MNLFはスールー諸島を勢力圏とするミスアリ派と、ミンダナオ中部のマギンダナオ及びラナオ地方を勢力圏とするサラマット派に分裂し、それぞれ武装闘争を繰り広げた。1984年には、サラマット派はモロ・イスラム解放戦線(Moro Islam Liberation Front; MILF)を結成し、世俗的な民族解放思想からイスラームを運動の中心的イデオロギーに据えることにより、MNLFとの相違を鮮明に打ち出した。

 シリアやサウジ・アラビアでイスラーム神学を学び、1979年から始まったソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に抵抗するイスラーム戦士(ムジャーヒディーン)として闘い、故郷のバシラン島に戻ったアブドゥル・ラジャック・ジャンジャラーニは1991年に、MNLFから分派して独自の武装過激組織であるアブサヤフ・グループ(Abu Sayyaf Group;ASG)を結成した。ジャンジャラーニは、世俗的ムスリム指導者のみならず、既存のイスラーム聖職者をも非イスラーム的として糾弾するとともに、イスラーム国家の樹立を掲げて武装闘争を率いた。ミンダナオ地域のみならずルソン地域にまで広がるシャリーア(イスラム法)と、スンナ(預言者ムハンマドの慣行)に基づくイスラーム国家の樹立を目指したのである。トリポリ協定を締結し高度な自治体の獲得に舵を切ったMNLFとは正反対の道である。

 ASGはザンボアンガ半島やスールー諸島一帯に留まらず、マニラ首都圏やボルネオ島でも外国人を含む誘拐事件や爆弾事件を繰り広げて来た。2015年にはイスニロン・ハピロン率いる部隊がイスラム国(Islamic State of Iraq and Syria; ISIS)のアル・バグダディに忠誠を表明し、後述するマウテ・グループと合流して襲撃事件や爆弾事件など過激な活動を行ってきた。

 また、マギンダナオ州中央部を領域にするMILFの軍事組織(Base Command)を率いていたアメリル・ウンブラ・カトー司令官は、MILFと政府との和平交渉の過程で、2008年に「先祖伝来の土地合意の協定文書(Memorandum of Agreement on Ancestral Domain; MOA-AD)」の締結が最高裁の違憲判決により破綻したことに憤慨し、独自路線を進むためにMILFを脱退。2010年にバンサモロ・イスラム自由戦士(Bangsamoro Islam Freedom Fighters; BIFF)を結成し、フィリピン国軍基地を急襲するなどの武装闘争を開始した。BIFFの最終目的は今一つ明確ではない。ASGの様に誘拐事件を起こすこともなく、マギンダナオ州や南ラナオ州、北コタバト州でひたすらに戦闘行為を繰り広げている。

 そして、MILFのアブドゥルアジズ・ミンバンタス元副議長の親戚筋であるマウテ兄弟により、2012年に南ラナオ州で結成されたマウテ・グループ(Maute Group)は、当初は小規模な武装グループであり、MILFとの関係も有していた。2016年に南ラナオ州ブティッグ町で国軍部隊と激しく交戦して以来、南ラナオ州内の町・村で軍事行動を活発に行い、2016年10月のミンダナオ島ダバオ市内の市場で爆弾事件を起こすなど行動は過激化し、ASGとの連携やISISに忠誠を尽くすなどイスラーム過激組織としての活動を拡充して来た。筆者がムラドMILF議長から聞いた話であるが、マウテ兄弟は当初、南ラナオ州に居住するバンサモロの若者達による新しいバンサモロ共同社会の創造活動を行うので認知して欲しいと相談があったとのことである。所謂ムスリム・ユースによる社会活動として、同議長は快く彼らの背中を押したわけであるが、その活動の果てがあの様な結果となるとは、同議長は想像もしなかったそうである。マウテ兄弟が中心となってバンサモロの若者達を多数動員したマウテ・グループの過激化に拍車をかけたのは、2015年1月にマギンダナオ州中央部で発生した「ママサパノ事件」が、間接的にもきっかけとなったと考えられる。同事件はフィリピン国家警察特殊部隊がMILFとの停戦合意に違反して、事前の調整を行うことなくMILFの支配領域に立ち入って交戦となり、国家警察、MILF、民間人を含む67名が死亡したものである。多数の警察官が死亡したことで、メディアはMILFを代表とするバンサモロの残虐性を非難した。世論におもねる国会議員がMILFに対する不信感を募らせた結果、審議中のバンサモロ基本法案は頓挫した。多くのバンサモロがマニラに対して失望を重ねた。マウテ・グループの面々が、交渉による問題の解決に見切りをつけ、暴力による社会の転換を追求する道に突き進んだのは想像に難くない。

 

ISISの伸張

 そもそもISISは「イラクのアルカイーダ」と称していた2006年10月、イラク・イスラム国の建国を宣言し、カリフ制に基づきシャリーア(イスラーム法)による統治と社会正義の実現を目指した。2014年6月には「イスラム国」としての国家樹立を宣言し、イラク及びシリア国内に広く支配領域を伸張したが、2016年以降に米国主導の有志連合やロシアなどが軍事作戦を本格化させたことにより、2017年12月にはイラクがISIS掃討勝利宣言を行った。2018年の現在(11月)は、シリア国内のイドリブ地域で最後の攻防が繰り広げられている。

 一方、フィリピンのISIS支持勢力は元来、地域や氏族ごとに分かれて活動していたが、2016年に入りASGの指導者の一人であるイスニロン・ハピロンが、諸団体に対してISの黒い旗の下に結集することを呼び掛けたところ、マウテ・グループ及びBIFFが呼応し、ASGとの連携・統合を発展させた。この様な連携と統合の最も過激且つ大規模なものは、2017年5月23日、南ラナオ州マラウィ市を武装占拠した事件である。10月23日にフィリピン国軍が終結宣言を発布するまでの5ヶ月間に、約1,000名もの戦闘員が死亡した。これら戦闘員はマレーシア人、インドネシア人、チェチェン人、モロッコ人など第三国出身のムジャーヒッディーンに加え、大多数は近隣の町からリクルートされた貧困層の若者達であった。事件終結の後、ASG、BIFFそしてマウテ・グループの残党は、ISISがミンダナオ島地域をそのイスラーム国の東アジア州と定めたことにより、ISISの影響を受けつつリクルート活動を継続して実施するとともに、依然として一定程度の活動を維持している模様である。

 

新しい過激武装組織の誕生?

 これまで見て来たように、バンサモロの統一武装組織であるMNLFからトリポリ協定を契機にMILFとASGが分派し、MILFからMOA-ADを契機にBIFFが分派した。そしてマウテ・グループがママサパノ事件を契機に暴力的過激主義に更に偏向した。バンサモロ和平の歴史を振り返ると、政治的緊張が高まるイベントの結果如何によって、更に過激思想の武装組織が誕生し、地域の治安状況を益々不安定化して来た。今回の住民投票の結果如何では、MILFから再び暴力的過激思想を有する武装組織が誕生する可能性は否定できない。

 北ラナオ州はその最も可能性の高い地域である。同州はラナオ地域の伝統的クラン(氏族)の一つであるディマポロ家(下院議員、首長などを排出)が、特に同州北部地域を統治している。一方南部は、MILFの軍事拠点の一つであるキャンプ・ビラールを擁するバンサモロ軍(Bangsamoro Islamic Armed Force; BIAF)ミンダナオ北西司令部のAbdullah Makapaar司令官(通称コマンダー・ブラボー)が実質的に支配する地域である。住民投票対象の6町は、同司令官が統治する地域と重なる。同司令官はMILFの中でも最も強硬な人物の一人とされており、実際、MOA-ADが破綻した後に兵を率いて武装蜂起し、フィリピン国軍駐屯地を急襲するなど地域に混乱を招き、大多数の死傷者と国内避難民を発出する結果となった。住民投票の結果、対象6町がバンサモロ政府に編入されない事態が発生すれば、同司令官率いる大部隊が再び武装蜂起しフィリピン治安当局と交戦状態となる可能性は高い。その際に、MILFと袂を分かって分派し独立武装組織を発足させるか、BIFFに合流するなど選択肢は複数ある。

 

貧困問題と治安の安定

 政治的緊張が高まるイベントを契機として、ASG、BIFFそしてマウテ・グループなどの武装過激組織が分派という形で誕生する要因は、フィリピン政府との和平プロセスにおいて、バンサモロが被って来た歴史的不正義の是正といった政治的解決が十分に果たされないことと共に、紛争の背景に広く横たわる社会経済的な課題、特に貧困問題も重要であると考えられる。長い間、フィリピンというキリスト教徒が大多数を占める主権国家の中で、半ば見放されてきたムスリム・ミンダナオ地域は、例えば一人あたりのGDPや失業率などの経済指標をマニラ首都圏と比較して、いやそれどころか、ミンダナオ島内のダバオ市と比較しても雲泥の差にあることが分かる。就学率や乳死亡率などの社会指標を比較しても、同様である。国内において社会経済面で甚だしい格差を生じさせている貧困問題に、その解決どころか糸口さえも見いだせない状況に不満を抱く、平和の配当に遠い民衆の切実な状況が、武装過激組織の存在を許容してきた。十分な教育を享受する機会に恵まれず、職業の選択及び就業の機会も極端に限られた辺境地域における、貧困が貧困を生む負の循環状況は、武装過激組織から更に新しい武装過激組織が生まれるシステムを構築している。現在、フィリピン政府が認定するISISに忠誠を誓うミンダナオ地域内の23の武装組織の中には、分派や合従連衡の結果として存在するものが少なくない。

 紛争の根源的要因の一つである貧困問題の解決のために、フィリピン政府が手をこまねいていたわけではない。MILFとの和平プロセスにおいては、停戦合意を締結し和平交渉を開始した最初の頃から、コミュニティ・レベルにおける復興支援や社会経済開発を進め、住民達に対する平和の配当を認識させるプログラムを実施した。ドナー諸国との共同事業であるミンダナオ信託基金(Mindanao Trust Fund; MTF)や、主に独自予算で実施したSajahatra Programが代表的である。また、ARMM自治政府もARMM – Humanitarian Emergency Action and Response Team (HEART) Programや、ARMM – Program Against Violent Extremism (PAVE)を通じて、ARMM地域内の貧困住民に対する生計向上及び職業訓練事業を実施している。数年前からは、武装過激組織であるASGやBIFFの投降した戦闘員に対して、一定の条件下で職業訓練を施し、社会復帰を目指す取り組みを推進している。一方、ドナー諸国は上述したMTFを通じてミンダナオ紛争影響地域のコミュニティ開発を通じて、住民への平和の配当を提示し且つ、暴力的過激主義に染まらない努力を重ねて来た。また主要ドナーの一角を占めるJICAはバンサモロ和平における正常化プロセスの一環として、MILF軍事キャンプにおいてBIAF兵士の復員を念頭に置いた営農技術支援を通じた生計向上プロジェクトを実施している。半農半兵状態にあるBIAF兵士の経済状況を少しでも改善すること、即ち貧困からの脱却を図り、彼らのみならず彼らが属するコミュニティや社会全体の貧困を削減することが、引いては暴力的過激思想に染まる人々、特に就業機会に恵まれない若者達の過激化を防ぐことになる。

 

住民投票の行方

 バンサモロ領域を確定する住民投票は、来年1月21日実施される。既に各地域での事前有権者登録が始まった。MILF関係者はこれまで国及び地方レベルの公職選挙に対して、常にボイコットを行う Hands-Off Policyを貫いてきた。しかし今回の住民投票に関しては、MILFをあげて投票行動に出るということで、アピールを兼ねてなのかマスコミへの露出度は高い。住民投票の結果として想定されるシナリオは先述のとおり、対象地域全てがバンサモロ領域に取り組まれることになる最善のものから、逆に全てが領域に入らないという最悪の結果までが考えられる。また、最高裁がバンサモロ基本法を違憲と判断する可能性すら窺われる。それを追求するために先日、スールー州知事が最高裁に対して違憲申し立てを行った。同基本法はドラフト作成の段階から、様々な側面から違憲性の有無や是非について検討されてきた。法学的には違憲ではないということが、裁判所の公式判断は無いものの、一般的認識として共有されている。しかし一方で、政治的意味合いから同法の違憲性については議論され、利用されようとしていた。今回のスールー州知事による違憲申し立てが、来年1月の住民投票の行動様式に与える影響が如何なものとなるか、今後の推移を注目したい。

 50年に及ぶバンサモロの闘いは新しく且つ画期的な局面を迎えた。50年間の歴史の中では、政治的緊張が高まるイベントを契機として、武装組織から新たなより過激な武装組織が誕生し、地域の不安定化を助長して来た。新たな局面の先に、バンサモロ民衆が50年ものあいだ望み続けて来た社会が創造されるかどうかの鍵は、住民投票を行うバンサモロ民衆自身の意志にある。

 

(完)

 

 

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