「イスラーム復興」のもう一つの顔

西 直美(同志社大学特別任用助手)

 

はじめに

タイ深南部(パッターニー県、ヤラー県、ナラーティワート県とソンクラー県の一部)では、2004年にタイ政府と反政府武装組織の抗争が激化してから、10年以上の月日が経った。深南部で続く紛争の背景に関して、これまで数多くの貴重な研究が蓄積されてきた。論点となってきたのは、おもに政治と歴史である。タイ政府による抑圧的政策や権力濫用が、パタニ・マレー語を母語とする深南部のマレー・ムスリムの周縁化と分離独立運動の興隆をもたらした。さらに、長引く紛争の過程で、深南部では、すべての人々が何らかのかたちで紛争の被害にあっている(本ウェブサイトの関連記事としては、堀場明子「タイ深南部紛争の概要と背景」(2014年1月23日): http://peacebuilding.asia/%e3%82%bf%e3%82%a4%e6%b7%b1%e5%8d%97%e9%83%a8%e7%b4%9b%e4%ba%89%e3%81%ae%e6%a6%82%e8%a6%81%e3%81%a8%e8%83%8c%e6%99%af/)。豊富な現地調査経験をもつケンブリッジ大学のパッカモン・シリワット氏はこの点について、「集団的被害者意識」がイデオロギーとしてのマレー・ナショナリズムに寄与してきたことを指摘している[1]

また、深南部には、1909年の英国・シャム条約でタイに正式に編入されるまで、マレー系のパタニ王国(Kingdom of Patani)があった。マレー語のパタニ(Patani)のみならず、タイ語でもパーターニー、ファートーニーといった用語が、タイ王国の県であるパッターニー(Pattani)と厳密に区別して用いられている。人々のあいだで語り継がれるパタニは、記憶のまとまりとして、あるいは、あるべき秩序のモデルとして生き続けている。集団的被害者意識とパタニをめぐる精神的遺産が、“ナーユー”(パタニ・マレー語でマレーの意)としての帰属意識の背後に見え隠れしている。

彼我の区別が一方では先鋭化しているものの、タイ国家との相互関係のなかで曖昧化もしている。2004年以降、紛争の犠牲者にはマレー・ムスリム市民が多く含まれるようになり、政府側か反政府武装組織側か、あるいは、その他の利害関係者が行ったのか不明である事件も多い。いまや、マレー・ムスリムのほとんどがタイ語を不自由なく話し、都市部ではマレー語を話すことができない若者も増えている。日常のなかで人々は、政府(軍)や分離独立派組織のことには関心がない、あるいは努めてかかわらないようにしているようにもみえる。本稿では視点を変えて、世界的に観察されるイスラーム復興の動き注目しながら、深南部問題について考えてみたい。

 

ルーソ郡内の村落部のモスクの入り口(筆者撮影)

 

イスラーム復興のねじれ現象

イスラーム復興とは、1970年代後半のソ連のアフガニスタン侵攻、イラン革命を経て、世界中で観察されるようになった宗教社会現象である。生活の中でイスラーム的と認識される象徴や行為が以前よりも顕在化し、ムスリムの生き方のさまざまな側面により大きな影響を及ぼすようになる現象を指し、急進的なイスラーム主義運動のみならず、それ以外の穏健な宗教復興の諸潮流も包摂するものである[2]。タイにおいて1980年代以降に顕著になったイスラーム復興は、タブリーグ(イスラーム復興主義)とサラフィー主義(イスラーム改革主義)の2つの流れで議論されてきた。 

タブリーグは北インドを起源とし、個人の改革と精神的な向上を強調する、宣教を活動の中心に据えた組織である(詳しくは小河久志「タイに広がるイスラーム復興運動」(2014年1月21日): http://peacebuilding.asia/%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%81%ab%e5%ba%83%e3%81%8c%e3%82%8b%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a0%e5%be%a9%e8%88%88%e9%81%8b%e5%8b%95/、を参照)。深南部ではヤラー県に東南アジアで最大のマルカズ(宣教センター)を設置しており、各地にクルアーン暗記を主とする宗教学校をもつ。タブリーグは、預言者ムハンマドと彼に献身した教友たちが送った信仰生活を理想とし、モスクにおける一定期間の共同生活と超俗的な宣教活動を行う。タブリーグは、ヤラーのマルカズを中心にして、パキスタン、バングラデシュ、近年では南アフリカなど、海外と独特なネットワークを構築している。深南部では、タブリーグのメンバーが村々を訪れて、モスクでの集団礼拝への勧誘や、講話を行う姿がみられる。深南部紛争の文脈では、分離独立運動に関わっていた者が、タブリーグの活動に参加することで武装闘争を放棄した例が報告されている[3]。諸外国で過激派組織と認識されることもあるタブリーグであるが、タイ政府は政治にかかわらない姿勢を明確に掲げるタブリーグの活動を、むしろ積極的に支援してきた側面がある。

9.11以降に過激主義と強く結びつけられるようになったサラフィー主義は、元来は19世紀末に生じた西洋近代とイスラームの調和を目指すイスラーム改革思想であった。原典回帰的なイスラーム解釈に基づく国家・社会改革をともなうため、国家権力にとって脅威であるとみなされることが多い。深南部におけるサラフィー主義の動きは、サウジアラビアで学び1980年代後半に帰国した指導者によって率いられてきた。とくに目を引くのは、イスマーイール・ルッフィー博士である。サウジアラビアで学士から博士までを終えて帰国した氏は、イスラーム研究者のあいだではサラフィー主義、改革主義と評価されている[4]。タイで初めての私立イスラーム大学は、ルッフィー氏のイニシアティブもとサウジアラビアを中心に湾岸諸国の資金援助で設立されたもので、IT、化学、ビジネス教育にも力を入れている。SNS上でも精力的に講演活動を行う氏は、深南部で生じている暴力をイスラーム学者として批判し、政府と現地との対話を積極的に後押しするなど、タイ政府とも良好な関係を築いている。

改革主義はタイでは政府とのあいだに安全保障上の問題を抱えていない、という特徴がある。深南部で改革主義的な人々は、新しいグループといった意味をもつサーイ・マイと呼ばれる。中東諸国では、サラフィー主義やサウジアラビアの建国を支えたワッハーブ主義など原典に基づく厳格な解釈を志向する人々は「伝統主義者」とみなされ、よりリベラルなイスラーム解釈を行う人々が「改革主義者」と認識されている。中東での伝統主義者は、タイの文脈では土地の伝統的実践を改革するという意味において、改革者の様相を帯びている。

 

ルーソ郡内の村落部のモスク(筆者撮影)

 

イスラームをめぐるラベリング

タブリーグも、サーイ・マイも、伝統的イスラーム解釈を重視する知識人や人々とのあいだで摩擦を生じさせていることが指摘されてきた。筆者が滞在していたナラーティワート県ルーソ郡でも、タブリーグは家族を棄てて旅に出て無責任である、サーイ・マイは社会を破壊しようとしている、など問題視する声がしきりに聞かれた。イスラームをめぐるラベリングは、何をイスラーム的であると捉えるかにも依る。個々人の学歴や経験などによって、たとえ同じ人物や組織を対象としていても解釈が異なる場合が散見される。しかし、サーイ・マイが意味するものにはいくらか共通点がある。それは、誰を参照しているかという点にも関係する。

イスラームの知識が広く一般に開かれるようになった現在、コミュニティの宗教指導者のみならず、イスラームをめぐる動向には多くのアクターがかかわっている。さらに、イスラームの知識へのアクセスは、ラジオやインターネット、SNSを通しても可能になった。ここで、深南部で登場するイスラームをめぐる呼称を簡単にみていきたい。イマームが意味するのは、一般的にモスクでの集団礼拝を先導する者である。ト・イマームは、深南部では村のモスクを管轄する指導者を意味する。ト・クルーあるいはバーボーと呼ばれるのは、深南部の伝統的な寄宿型宗教塾であるポーノの指導者である。イマーム、バーボーといった言葉は、宗教指導者に対する敬称としても用いられる。

また、イスラーム諸学を修めた知識人を意味するウラマー(アーリムの複数形)が存在する。ウラマーと認知された者のみがイスラーム法的観点から裁定を下すことができるとされ、ウラマーではないイスラーム知識人は、イスラームの観点から解決策や助言を紹介するのみにとどまる。実際にウラマーやアーリムという言葉が使われる場合、イスラーム法に基づく裁定を下す権限があるか否かというよりかは、知識、人格がすぐれた人物であるという意味合いをより強く含んでいる。タイ国家におけるイスラーム行政の長であるチュラーラーチャモントリーは、ウラマーだとはみなされていない。深南部で、ウラマーだとみなされる人物はいるのだろうか。歴史的にはいたが現在は存在しないという者、深南部地域で精力的に講演活動を続けるバーボーを挙げる者もいる。しばしば聞かれた名前が、先のルッフィー氏であった。

改革主義と結びつけられるのが氏である。自称・他称を含めてサーイ・マイとされる人々に共通する特徴としては、深南部における伝統的なイスラーム解釈や実践をビドア(アラビア語でイスラームからの逸脱)とし、よりイスラームの原典に忠実な改革を志向する傾向である。また、近代的教育やテクノロジーを、イスラーム的観点からも積極的に捉える。ルッフィー氏自身が講演の際に用いるのは、パタニ・マレー語である場合が多い。しかし、サーイ・マイとされる人々は、マレー語パタニ方言ならびにヤーウィ(標準マレー語のアラビア語表記)の重要性を認めつつも、これらをイスラームにとって不可分一体の要素であるとはしない傾向がある。また、タイ国家とのかかわりについても、国家がイスラーム自体を攻撃しない限りにおいて、戦う必要性はないとする。ワッハービーという蔑称で呼ばれることの多い改革主義者は、伝統的なイスラーム実践を重視する人々からは、深南部の伝統や社会を破壊しようとしていると問題視されるのである。深南部社会で微妙な亀裂を生み出す一方、サーイ・マイと呼ばれる人々は、やはりルーソ郡においても政府と安全保障上の問題を抱えていなかった。深南部で生じている暴力から、最も遠い人々でもあったのである。

 

ルーソ郡の中央モスク(筆者撮影)

 

イスラーム復興と帰属意識

9.11以降、深南部に対する国際的なジハード主義の影響が懸念されてきたものの、深南部紛争は民族的なナショナリズムに基づく分離独立運動の要素が強いとされている[5]。原典回帰的な実践改革を志向する改革主義者のあいだでも、アルカイダやイスラーム国など国際的なジハード主義の影響はみられない。これらの事実について、ソンクラーナカリン大学イスラーム学部のイスラーム教育学者イブラヒム・ナロンラクサケート教授は、ルッフィー氏を代表とする学者集団が深南部地域におけるイスラーム解釈をまとめる力を持っている点を指摘している[6]

イスラーム復興の動きは、人々の帰属意識にどのような影響を及ぼしたのだろうか。イスラーム復興を担うタブリーグへの関わり方は、喜捨や宣教団を接待することから、ネットワークの一員として宣教を担う形態までさまざまである。タブリーグにかかわる個人は、改革主義者であると評価される場合もあれば、伝統主義者と認識される場合もある。個々人の宣教スタイルにも左右されることから、その影響力を評価するのには困難がともなう。ここで注目したいのは、学校教育の場から影響を拡大する改革主義である。

伝統的なイスラーム教育、とくに400年以上の歴史をもつとされるポーノにおける教育は、マレー・ムスリムしての帰属意識と深く結びついていることが指摘されてきた[7]。他方、1960年代以降本格化したタイ政府による統合政策と、マレー・ムスリム内部からの改革の動きも相まって、深南部におけるイスラーム教育は多様化している。ポーノなどの学校制度外の伝統的宗教教育のみならず、普通教育課程と宗教教育課程をあわせて実施する私立イスラーム学校、さらに公立学校でもイスラーム教育が実施されている(教育について、詳しくは馬場智子「タイの公教育における宗教とムスリム」(2015年5月28日): http://peacebuilding.asia/thai-religion-buddhist-muslim/、を参照)。1990年代以降、大学レベルのイスラーム教育も整備されてきた。

歴史のなかで蓄積されてきた解釈や実践よりクルアーンとスンナに基づく知識を重視する、イスラームを学ぶ・教える際の言語としてマレー語を絶対視しない、科学やテクノロジー教育などもイスラーム的観点から肯定的に捉える、といった特徴をもつ改革主義は、学校教育制度内での教育にも親和的である。高等教育を中心に展開する改革主義は、タイの公立・私立学校における初等・中等イスラーム教育にも、カリキュラムなどを通して影響を拡大している。改革主義は、世界宗教としてのイスラームへの帰属意識を強調することで、マレー・ナショナリズムの要素が強い深南部紛争から距離を置くことを可能とし、それが結果的としてマレー・ムスリムの教育、地位の底上げにつながっている、とも捉えられる[8]

イスラームをめぐるラベリングを掲げて互いを批判し合う光景がみられるものの、改革主義者とポーノなどのイスラーム指導者が、イスラームの根本的な解釈をめぐって対立している訳では決してない。人々のあいだで問題視されるのは、深南部の歴史・伝統・実践に対する態度である。タイ政府による抑圧的政策や権力濫用の事例は、枚挙にいとまがない。しかし、タイは国家として公式にイスラームを認め、管理と表裏一体であったとはいえマレー・ムスリムの文化を認めながらイスラーム教育を支援してきたことも事実である。イスラーム復興の動きは、タイ国家との歴史的な関わりと複雑に絡み合いながら、マレー・ムスリムとしての帰属意識を相対化させているといえる。

 

私立イスラーム学校で使われる教科書(筆者撮影)

 

おわりに

本稿では、イスラーム復興に注目しながら、深南部の動向を検討してきた。深南部は、多彩な魅力をもつ地域である。海、山、川といった地理的背景や旧パタニ王国内の小王国の歴史的背景によって、土地毎に文化や慣習、言葉が少しずつ異なっている。改革主義的な思想の影響を受けた人々は、深南部の伝統をあくまで文化とみなし、宗教から厳密に区別しようとする。そして、伝統的要素と混交したイスラーム実践を非イスラーム的であるとし、より原典に近いかたちでの改革を志向する。また、タイ国家とのかかわりを、イスラーム的な観点からも肯定的に捉える傾向がある。改革主義者は、タイ国家の枠組みに自身を位置付けることに成功している、といえるであろう。しかし、改革主義者がマレー・ムスリムとしての帰属意識を失っている訳ではなく、伝統主義者が皆マレー・ナショナリストであって、タイ政府との武装闘争を支持しているという訳でもない。ムスリムにとって最も重要な来世のために、この世界でイスラーム的に正しいと捉える行動を積み重ね、より良い社会の実現を目指すという目的は同じである。それは、懸命に働いて家族を養うことから、コミュニティへの奉仕を行うこと、武器をとって闘うことまで、様々なかたちをとりうる。

近年、長引く紛争を背景にして懸念されるようになってきたのは、仏教徒のあいだでのイスラムフォビアの拡大である[9]。メディアや学者がムスリムに大きく注目するなかで、深南部の仏教徒が周縁化され、孤立を感じている点は無視できない。筆者自身、なぜ誰も私たちの声を聞こうとしないのかと、深南部のマイノリティである仏教徒に問われたことがある。ここでは、紛争の犠牲者は数ではムスリムが多くを占めているというデータや、イスラームは平和的宗教である、といった言説をかざすことにはほとんど意味がない。

イスラーム復興によって生じた原典回帰は、タイ国家との政治関係においては紛争を回避する方向で働いた。しかし、深南部社会のレベルでみると、ムスリムと仏教徒の差異を先鋭化させてもいる。10年以上に及ぶ紛争状態で、多くの人々が生涯癒えることのない傷を心と体に抱えながら、紛争下の日常を生きている。「集団的被害者意識」が日常的に再生産され続け、その意識は宗教の違いにも枠づけられるようになってきた。深南部の人々の経験から学ぶことができるのは、仏教徒であれムスリムであれ、日常生活、大学での学び、仕事など、何らかの「場」を共有することができれば、たとえ宗教のことはわからなくとも、互いを理解することは可能であるということである。しかし、とくに農村部ではムスリムと仏教徒との日常的な交流は極端に少なくなっている。コミュニティ内部で生じている社会変化を、丁寧にみていくことが今後ますます必要とされている。

 

モスク付属のイスラーム教育機関(ターディーカー)の教室(筆者撮影)

 

[1] 2015年6月25日インタビュー。氏はこの概念を軸に、3000セット近いアンケート調査に質的インタビューを加えて博士論文を執筆しており、成果が待たれる。

[2]大塚和夫(2000)『イスラーム的―世界化時代の中で』、日本放送出版協会、130頁。

[3] Joseph Chinyong Liow, 2009. “Local Networks and Transnational Islam in Thailand (with emphasis on the southern provinces)”, NBR Project Report.

[4]学者によっては、サウジアラビア方式のワッハーブ主義であると評価する場合もある。

[5] ジハード主義をめぐる最新の論考については、International Crises Group International Crises Group, 2017. “Jihadism in Southern Thailand: A Phantom Menace,” Asia Report No. 291; Marte Nilsen and Hara Shintaro, 2017. “Religious Motivation in Political Struggle: The Case of Thailand’s Patani Conflict, Journal of Religion and Violence, Vol.5 No.3, pp.1-20が参考になる。

[6] 2018年3月2日インタビュー。

[7] Ibrahem Narongraksakhet,2005. “Pondoks and Their Roles in Preserving Muslim Identity in Southern Border Provinces of Thailand.” In Utai Dulyakasem and Lertchai Sirichai eds. Knowledge and Conflict Resolution: The Crisis of the Border Region of Southern Thailand, Nakhon Si Thammarat: School of Liberal Arts, Walailak University.

[8] これらの点については、拙稿「タイ深南部におけるイスラームと帰属意識:イスラーム教育の場を事例に」『年報タイ研究』第18号 、39~57でもう少し踏み込んだ検討を行った。

[9] “Islamophobia in Thailand Irrational and Dangerous: Scholars”, Khaosod, October 2, 2017. http://www.khaosodenglish.com/news/2017/10/02/rising-islamophobia-thailand-irrational-dangerous-scholars/